一幸04。私の理髪師。

現役時代は決まっていた。

日曜日、子供達を連れての頭刈りは、夫婦二人と若い技師の街の床屋であった。

悩むのである。これからの短ようで長い月日の髪である。

髪を刈る、切る。そのどちらの言葉で頭髪を考えるかによって、明らかに通う店が違ってくる。刈るとくれば、床屋(バーバーショップ)のオヤジさんであり、切るは美容院(ヘアサロン)のカリスマ美容師である。

私が求める短髪。これは少年時代のそれだはない。半端でない技術、腕前がもとめられる刈り方である。難しい。床屋カットか美容院カット。やはり、どうもしっくりこない。事が事だけに、ここは慎重に事を進める。入念な選びである。

私が選んだのは、店ではなく誇り高き理髪師である。 “セヴィリアの理髪師”あらず“私の理髪師”は、一本数十万円はするハサミ4、5本を駆使して、私の髪を切り刈り整える職人、誠に見事な ヘアデザイナーである。

この数年、私の指摘に首を振りながら、彼は徐々ながら私の髪の切り方が長めになってきている。遂に来た、忌まわしい避けたい事態、髪の退化を気遣った彼のハサミさばきである。

素晴らしき職人である。良い出会い、幸せである。

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