昼間だけが威張る時代ではない。
何時、何をしてもよい“我ら引退者。こっそり、朝夜逆転の生活も一つの選択肢。一興である。
引退者にとっての時間は、まさにこのように自在なはず。世間が決めた時間表に逆らって生きる。こんな現役時代には思いもしなかった自由を手に入れたのでる。
そんな身に何で腕時計が必要であろうか。気ままに自分の時間の流れに身をおく。腹時計で用がたす。
そこで、である。
深夜では若者がいる。そこで、深夜と早朝の境目の時間に、繁華街を徘徊否放浪するのである。酔い潰れた若者を尻目に大股で闊歩し繁華街を占拠するのである。
時に、可愛い女人に出逢えば、目配する。だが、手は決して出さない。ただただ、その瞬時を遊ぶのである。これが我ら老人の余裕ある成熟した戯れである。
腕時計を外し,世間の時間でなく自分の時間の流れに身を置く幸せ。朝がまだ夜が追い出きれない、早々朝の幸せな遊びである。
この時代に、”なぜ、だろう”?
毎夕5時を知らす“帰れ”アナウンス。この時間に睡眠を取らざるを得ない人がいる。各自がそれぞれの時を持っているのが東京、今だに残っている役所仕事なのだ。
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