一幸09。窪んだ階段。

願いも悲しみも飲み込んだ大理石の磨り減った階段が、バルセロナの郊外にある。

モンセラートの険しい山頂にあるサンタ・マリア・モンセラート修道院に安置されている、黒い聖母像マリアに至る大理石の階段である。

参拝者の溜息と願いが漏れ聞こえてくる信仰の道。何千万、何億の参拝者の祈りと願いを掛けた一歩一歩が,穿った大理石の階段である。

今、東京の街は大改造の最中にある。

それを後押ししているのが2年後に迫ったオリンピクもあるが、基本は今、世界で起きている国の命運をかけた都市間の激烈な競争である。老朽化したインフラの整備に加え、都市集中の波をビジネスチャンスと捉えたデロッパーたちの大型投資活動による東京大改造なのである。

その中で、ひっそりと改築中の階段がある。新橋の銀座線の改札口からJRの改札に向かう階段である。恐らく戦火に崩れ、戦後に改修され、あれこれ、70年を超える年数を過ぎた階段である。

20代後半サラリーマンであつた時代、その階段が私の通勤の道。久々にその階段を昨日上った。大改装の新橋駅、ご存知のようにその階段は石でできており、一段ごとに、踏み外し防止用の濃茶の縁取りされた階段が 見事にすり減り大きく窪んでいた。

朝に夕に、何千万何億の会社員たちの一歩一歩が、石の階段を穿ち、その窪みを作り上げたのである。今の日本を築いた昭和、平成と両時代の猛烈サラリーマン達の一途さを感じさせる窪みである。

まだまだ、一生、一つの職場で何の疑いもなく働き、終えていたる時代の猛烈さを思い出させる階段である。

今になると、少し不気味な気持ちにさせる窪みだが、何の疑問もなく猛烈が当たり前だった、そんな熱い時代の幸せな階段でもあった。

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