出会いは常に旅の途中にある。
それも、直感が誘い一目で気にいる出会いとなるものがある。そんな出会いをした一枚の絵が、我が家の食卓を斜めに見下ろすように壁にかかっている。10数年前、サンフランシスコで買い求めた絵である。
旅は宿を間違えると旅自体が台無しなる危険がある。
だから、私はホテルだけは保守的であり、いつも同じ馴染みのホテルを選んでいる。
あれこれ、10数年前のSFへの旅で、その教えを外して泊まったホテルがある。ユニオンスクエアを400mほど上がったところにある小さなモダンなホテルである。
その夜、友に薦められた小洒落たフレンチでの早めのデイナーを終え、旅の汗を落とすべく浴槽に湯を張っていた。手持ちぶたさで、ふと目に付いたベッドサイドに置かれていた画集が、その絵との出会いをもたらした。
モントレー半島の海岸の砂浜が、夕陽に真っ赤に色付けられている。その浜辺で、母親と子供たちがキラキラ光る夕陽の中を賑やかに遊び、たわむれている。それはなんとも幸せな風景の絵なのである。
その画家がカーメル・バイ・ザ・シーに画廊を構えているとのことを知り、決めていた全てのスケージュルを解き、その一枚の絵を求めて翌日には車をカーメルに走らせていた。
“明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかな“
親鸞
そんな気持ちにさせる躊躇が許されない絵であった。
こんな偶然が重なり手に入れた一枚の絵がどうやら、息子が結婚し住むアメリカで、一緒に住むという私たち夫婦の行き先を決めたようだ。
夕陽が影を長くさせている海辺で、孫たちと戯れ過ごす。ある情景を得て刹那に感応する。
その一時の感応を始末し記憶に残すだけにする。だが、時にはそれに手を伸ばし行動に結びつけなければならない時もあるようである。
丹念に水をやり育ていつの日か辿り着く、壁にかかった幸せな夢である
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