一旅04。猫はじっと見つめると逃げていく。

朝の散歩の折に、何かが気になり横道に逸れる

そこで私を待つのは、アスファルトの小さな割れ目から顔を出す一輪の草花。それを見つけた瞬間に、私を横道に逸れさせた気持ちの揺らぎは綺麗に消え失せる。

猫が逃げ出したのである。

日常の散歩は、その時々に見つけた情景に感応する。そんな刹那の微かな感応を楽しむもの。その情景が記憶にとどまることはない。

だが、旅先での歩きは日常の散歩と

日常の散歩で目に止まる小さなことには無頓着となり、際立った情景を探す。そうした情景は鮮明な記憶として後を引く。旅は、そんな出会いを求めての非日常への遠出である。

旅は、知らないところを歩く。

当然、歩き方も違ってくる。目配りはしつかりし、背筋を伸ばした足運びとなる。五体の動きや感覚の具合が鋭くなり、ハンターの歩きとなる。

「津々浦々」とは、よく言ったもので、日本は海に囲まれた島国である。

沢山の港があり、港町がある。また海と同時に列島の大半を森林が占める日本。驚くことに山の先、その先まで里山があり、集落がある。

こうした日本を巡る私の車一人旅で、車を捨てて好んで歩く2つの道がある。

一つは、海のある町、港町の道。

旅先での私の朝は早い。早々に散歩に出かける。そうした港町で、決まって歩くのは、港へ降りていく坂道。坂の先に朝日に煌めく海がまぶしい。

坂をゆっくりと降りてゆくと、まだ人気のない小さな漁港が目に入ってくる。その情景の中に、朝餉の焼き魚か、かすかに焼き魚の匂いが漂ってくる。

生活の匂いが加わると、人気のない情景が一気に変る。人の気配が静寂の朝の中に満ち始める。この瞬間を味わうための早朝の散歩である。

もう一つが、里山の畦道。

山間部を横切るハイウエイから 盆地の中に数十の家々が寄り添う集落を見つけることがある。私は迷わずさっさと高速を下り、その集落に迷い込む。里山の魅力にはあらがえない。

畦道に沿って丁寧に車を走らせ、神社に辿り行く。車を停め、参拝し村落へと歩き出す。理想的には、夕暮れ時が良い。

集落から少し離れた田んぼの中にぽつんと佇む一軒家を見つけ、そっと、大きな樹木の陰から灯りが漏れ来る部屋に目を向ける。人影がない、TVの光だけがいやに明るい部屋である。どんな人がすんでいるのか、つい その部屋を覗き込んでしまう。

私の旅では、自然の風景はいかに風光明媚であろうが、単なる舞台に過ぎない。その地の生活を垣間見るという下心で、わざと細い脇道に逸れ、人通りの絶えた路地裏に迷い込む、そんな旅なのである。

私の旅では、猫は逃げない。

脳裏の奥深いところにある郷愁の記憶をさらに奥行きのあるものへと育てる、そんな幸せな旅を堪能するのである。

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