一幸20。私の朝顔、一輪。

太閤秀吉が評判の朝顔を見に行くと利休に申し出た。

利休は、群生して咲かしていた朝顔の一切を切り払い、一輪だけを朝早い茶室の薄明りの床の間に生けた。

我が家のデッキの朝顔がようやく、一輪、ピンク色の花を咲かした。

遠出のゴルフをした折、鉢植えのアサガオが店頭に数多くならべられていた、その一つの鉢植えの苗から、咲かした一輪、私の朝顔である。

静かなはずの田舎道は、意外に賑やかである。いろいろなものが道端に並べられ売られている。みかん、柿、卵、かぼちゃ、白菜、きゅうり、玉ねぎ、時には、精米自販機すら置かれている。

そんな賑やかな田舎道で見つけた鉢植えの苗が、咲かした一輪の朝顔である。

ようやく咲かしたこの一輪、私の記憶の中にあるアサガオを思い出させる。学校に通う道端の家々の生垣に、蔓を繁く絡み咲く朝顔、風にゆらぐ小松が生えた砂丘一面に咲く昼顔、そうして、我が家の窓際を覆い薄いピンクの花を咲かしていた夕顔、一気に子供時代に連れ戻すのである。

朝顔など値札が付かない花、そんな多花性の花は群生して賑やかに咲き揃い、優美な牡丹、百合などの花とようやく競い合える。朝顔はそんな花である。

そんな花を全てそぎ落とし、一輪を床に飾る。そんな情景を目に浮かべてみた。私には疲れそうである。遠い思い出の朝顔、昼顔そして夕顔が良い。

西日の入る我が家のデッキで、一輪だけひっそりと開花した朝顔。

利休には、見放し無視されそうな弱々しい一輪の朝顔だが、私に、幼い時の群生し花を咲かしていた朝顔、昼顔、夕顔を思い出させてくれた幸せな朝顔なのである 。

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