子供時代の思い出には、常に太陽がある。
太陽は記憶の奥底から幼い日の記憶をころび出させる。
柳が一斉に爽やかな新緑を見せ始めた皇居のお堀沿いを歩いていた。この季節は大地に潜む命を揺り動かし、自然が俄然、胎動する時である。
そんな春盛りの日、まだ真上にはこない太陽だが真夏を思わせる強い陽光を私に注ぎ続けていた。この季節外れの強烈な太陽の直射が,心の奥深く沈んでいる幼い頃の思い出を何の脈絡もなく突然に蘇えさせた。

川沿いに走る三叉路、そこに広がる小さな広場に夏の陽炎がゆらりとたっている。回りは煩いほどの油蝉、クマゼミ、ミンミン蝉が、けたたましく鳴き立ている。強烈な太陽が照りつけるその下に、幼い私が一人いる。
もう何匹かは捉え、器用に左手の指に挟んでいる。大きなヤンマである。
竿にメスのヤンマを糸に結び、オスのヤンマを誘う。交尾を目指し飛翔してきたオスが囮のメスに絡む。そこを白い懐かしい網をかぶせて捉える。
ぎんぎん,ぎらぎらの太陽が沈む頃、ヤンマは虫を追いかけ空高く舞い上る。そのヤンマを追いかけ、両端に鉛の重みをつけた糸を空高くに投げる。ヤンマはその糸に絡まり幼い私の手に収まる。
子供の遊びは残酷である。遊びの少なかった時代、誰もが夢中になった夏の遊びである。
周囲の様子は薄ぼんやりして思い出せないが、一面に立ち上がる夏の香りと陽炎を感じる昼下りの思い出である。
もう二度とこない、虫が街灯に群がっていた。そんな遠い、遠い夏の日の幸せな思い出である。
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