一皿08。卵焼き。

渋沢栄一しぶさわえいいち
2024年発行の新1万円札の肖像に選注目浴び始めた。

その渋沢家邸宅は東京大空襲で消失したが、江戸時代からの花見スポット、飛鳥山にあった。現在は、その地に渋沢史料館がある。

その飛鳥山、王子の街に友と連れ立って行くことになった。だが、何も、物見見物が目的の王子行きではない。友との邂逅である。お互いに変わりない無事を確かめ合う。そんな時間を持つためのものである。

そうすると、王子に至る道も大切な時間、待ち合わせ場所も一工夫し高田馬場駅とした。それぞれ、懐かしい思い出を持つチンチン電車、東京都最後の路面電車荒川線は、その始発駅早稲田駅は、高田馬場から1キロ強、また、飛鳥山駅は王子駅のひと駅手前の13駅目の20数分の先である。

さて、肝心の王子の街は思いの外、いろいろと豊かな歴史を背負う街。先ずは、平安末期まで遡ることができる王子稲荷神社があり、その神社、大晦日には、恒例のかがり火掲げて、年越しの狐行列が練り歩くことで、人を集める由諸正しい神社なのである。さらに、地名の由来となった、中世には、熊野信仰の拠点となった王子神社もある。

実は、この王子行きには、もう一つ是非とも尋ねたい店があった。

その店、この王子神社の裏の、見事な大銀杏の木を眺めながら降りきった、石神井川が音無川に変わる根元にある。

この店こそが、家光の時代に遡ることが出来る老舗割烹“扇屋”である。

この扇屋、王子稲荷が最も栄えた時代、飛鳥山の桜、滝の川の紅葉と遊山行楽の江戸っ子たちが、その折、宴をはった料亭である。

また、そこで供される卵焼きは、
 “狐が店主を騙し飲み食いした挙句に、折につめた卵焼きを
土産に食い逃げする”

有名な落語があるほどのものである。

今は,その料亭は畳まれ一間ほどの台を外にせり出し、“卵焼き”を売るだけの店となっている。その店先に、多くの観光客が列を連ねていた。その列の客にしきりに話しかけている一人の年老いた白衣の人がいた。

興味が湧き、いつものように話かけてみた。その老人、店主14代、弥三右エ門と少し、背筋を伸ばし名乗をあげた。彼は勢いよく、店の歴史を話し込む。誇りを持っての話は当然長くなる。ひとしきり彼からの話を聞く。

その横では、奥さんが黙々と商売に精を出す。いいバランスの夫婦である。

この卵焼き、ただの卵焼きではない。

重い長いしっかりとした物語を背負った卵焼きである。だが、やたら甘い。甘いがご馳走であった昔の卵焼きなのである。

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