一言11。 雀の子、そこのけそこのけ御馬が通る。

昨夜、狸に出会った。

我が家は、江戸時代、狸・むささびが坂下の穴に住んでいることから名付けられた狸穴坂から歩いて10分ほどの距離にある。

その家に至る道すがらの出会いである。それにしても、江戸から既に400年、夜と言え人通りが決して途絶えることの無い東京のど真ん中での驚きの出会いである。

確かに、たとえ、今は開発された所であれ、野生動物の棲息域に深く踏み込んだ所での動物たちとの出会いは、驚きはするが納得し楽しんだりするものだ。

その代表がゴルフ場での出会いである。日本では、栗鼠、白鷺、狐、猿、家鴨、狸、猪、蛇と可愛いものだが、海外のゴルフ場で出会った珍客たちには、カンガルー、ワニ、巨大イグアナ、カモメ、海豹、クジラと多彩である。

昨今、見当違いの不平を見聞きする。我が友人が嘆く、軽井沢での猿、猪の被害。

自然を求め自然に奥深く入った者が、自然界では当たり前の野生の動物との出会いに困惑し狼狽し被害だと騒いでいるのである。ここは、人間様が彼らの住まいに無断に踏み込んだのだから、大様に構え、猿、猪も自分が求めた自然の恵だと楽しみ、共存の術を学ぶべきである。

一方、この都心での動物たちとの出会いは根本的に違うのである。

自然をとことん開拓しつくし、意図的に全て人口的に組み立て快適な生活区間を作った都市に、かつて住居していた動物たちが舞い戻り、人との接触を求め近づき、人との距離を自ら縮め彼らが共存を求めてきたのである。

思えば、幾つか気付かせられたことがある。

今、鳥が人混みも騒音も光を恐れずに飛来し、餌を堂々とついばむ様を見かけるようになった。人と鳥の距離がなくなっているのである。特に、人を見れば素早く逃げ飛んでいた雀すらが、堂々としているのである。あの気弱な用事深い雀すらが、人との距離を極度に縮めて来ているのである。

そこは、人が一歩下がり
“雀の子、そこのけそこのけ御馬が通る”。
優しく語りかけ、新しい友を歓迎すべきである。

この動物たちの接近を、私は大いに歓迎している。少しだけだが、優しくなれ、こんな些細なことも幸せになれるのである。

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