
値札が消えた。その一方で、立派な値札をつけたものがある。
ほんの少し昔には、思いもしなかった理不尽なことが、我ら老人たちの身の上に起っている。ある地方都市の街道を走らせた折、思わず転けそうになる看板に出会った。
こうである。
分かるまで何度でもお聞きください。
丁寧にお教えしますお年寄りのためのコンピューター教室
堂々オープン!
昔は、教える側に立った老人が今は、教わる側になったのである。
かつては、熟知している知恵のある、経験豊かな隠居さんとして当てにされていた老人の価値が、急激に値崩れしたのである。
ITの出現により、様変わりしたようである。
どの分野にも、今や、コンピューターが忍び込み、昔の知識や経験を色褪させた。
PCを自在に操る若者たちが、一夜にして老人たちを主役の座からはじき出し、現在からも残り少ないが未来からも、取り残された存在にしたのである。
ついには、賞味期限切れの老人から値札が外されたのである。
あぁ、である。その一方では、値札がついたものがある。
朝の散歩道に人の住んでいる気配が消えた庭の片隅に、実をたわわにして道にせり出している枇杷の木を見つけた。失敬しようとしたが、手が出ない。
先日、店で見つけ、あまりも立派な値札を思い出し、ひるんだのである。
そう言えば、ほんの昔、柿、栗、無花果、夏蜜柑、石榴,苺などは、家の庭、道端に実り、ちょっと失敬して、お裾分けしてもらっていたのである。
だが今は、店頭で一個、一房ごと丁寧に包装され、目が飛び出るほどの立派な値札をつけている。

また、少し、街から離れた道端や神社の石段の両側に、そして田んぼのあぜ道などには、コスモス、菜の花、すすき、女郎花、菜の花、たんぽぽ、小手毬などの花は、大きな花束になる程、容易に取れた。
これらも立派な値札を下げる身分に大出世。
値札を剥がされた上に、若者に頭を下げ、お教えをお願いしなければ生きていけないのは、この時代の我ら老人だけなのである。
だが、我ら同胞は何によりも、とにかく時間がある。
このやるせない胸の内なる火焔が収まめ鎮めるため、高速道路を、繁華街を、映画館を、乗り物を、レストランを,ゴルフ場を占拠して、うっぷんを晴らす。
こっそり、ちょっと舌をだす幸せを愉しむのである。
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