久々の京都である。
早めに宿に入り荷を解き、軽くシャワーで6時間の車旅の汗を流す。
開店時間を待ちかね駆けつけた馴染みの小料理屋で、今宵の一杯を楽しむ。顔見みしりの一人が、
“お女将さん。見事な月が鴨川の上に出ている”
と言いながら勢いよくカウンター席の隅の椅子に座った。
あぁ、そうだ。今宵はスーパームーンだ。
彼への挨拶もそこそこに、通り一つ先の鴨川の岸辺に飛んでいき、祇園南座の上に架かるスーパームーンを見つけ,暫し見惚れた。
異様に存在感のある大きな月、月影が出来るほどの明るさである。月明かりに映える鴨川の欄干にもたれ、しばし、堪能する。
今宵の酒の肴は俄然,月談義。
京都での談義となれば、同じ月も望月、不知夜月、臥待月、立待月と粋な呼び名に変身。程なく飛び込んできた旅の女性も巻きこみ賑やかな夜となった。
何するでもなく、唯々夜空に月が上り瞬時を待ち、月の光が空を染める瞬時を楽しむ。
”面白きこともなき世に 面白くすみなすものは 心なり”
高杉晋作。
幸せは、心の持ち方ひとつ。静かな欠けることなき幸せである。
今も,スーパームーンの前後にはお誘いの連絡が来る。 “月”が取り持つ得難い月がとりもつ飲み友である。
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