一幸33。 未だ果たせずにいる。

仙台で衝撃的な出来事があった。

仕事仲間と寿司屋に行った時の出来事である。下戸の一人が衝撃的な食べ方で寿司をつまんだのである。我らは当然ながら、まずはビールで喉潤し、”今日の白身は?”といつもの会話を店主と交わしていた。

その話題の主は、何故か、我らから2、3席離れて座り、おもむろにネタのガラスケースを端から端まで素早く何度か目を走らせ後、手の空いている

若い板さんを手招きして呼んだ。彼はネタケースに目を向けながら、

  “全てのネタを一貫ずつ右から握り、私の前に並べてほしい”
である。

彼は、辛抱強く全てのネタが間違いなく握られ、彼が陣取った席の前に並ぶのを見守っていた。呆れ顔の若い板さんが、“はい。これで全てです”と、合図した瞬間、圧巻の食いが始まったのである。

その数、45貫。

我らはただただ彼の蛮行・蛮食を見つめるだけで、白身での一杯で寿司をつまむことなくその店を後にした。この彼との驚異の経験がトラウマとなり、下戸の友人との寿司や行きは躊躇され避けるているのである。

そこで、私の夢である。

白身のアテで酒を飲み、焼き物をはさみ、お喋りに精を出し、さぁ、仕上げだと言いながら、2、3貫握ってもらい終える寿司屋の夜に、少し物足らなく寂しいと、この数年思いはじめている。

ままだまだ、好奇心旺盛で食欲が衰えない今、この時を逃しては、あの蛮行する機会を永遠になくす。あれこそが、寿司好きの最終的に行き着く食べ方である。

いよいよ、あの友人の“端から端のネタ総握り”寿司の爆食い蛮食を実行する最後のタイミングである。今、やらねば悔いが残る。

今、策を練っている。

寿司屋は決まっている。この40年通い続けている少々は我儘が言える店である。客への迷惑を避け、開店前一時間前に実施である。実施季節、これが難しい。

魚がうまくなる冬。貝類は身が厚くなり旨にをます。寒平目、白身の魚も脂がのっくる。
春先も捨てがたい。サヨリ・カスゴ小鯛 シラウオといい季節。夏はアジ、トリ貝、キス、新子もある
秋は白身が俄然色めき始める。わらさ、シマアジ捨てがたい。

やはり、春夏秋冬と季節ごとに試み、四回か。大いに夢見ながら悩むのである。

それに、もう一つ、無理を聞いてもらうことがある。

一貫のご飯の量である。昨今小ぶりになり18g程度だが、ここは10gとかなりの小ぶりの握りをお願いしなければならない。

さてさて、何貫になるのであろうか!やはり、巻物は外すことは当然である。

果てせずにいる幸せを夢なのである。

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