一幸34。ほっとする商店街と消えない店。

子供時代の思い出には、入道雲,海、凧,独楽、ビー玉。それに、おばあさんが居眠りしながら店番する駄菓子屋が加われば完璧となる。

そんな時代、子供の私にも、魚屋、八百屋のおやじさんから威勢よく声をかけられた。買い物と、お喋りとがセットとなっていた時代があった。

だが、今や店では会話が弾まない。

無駄口,洒落の一つも期待するのだが、決して喋らない。マニュアル言葉での通り一遍の味気ない言葉が返ってくるだけである。どうやら、今の人は知らない人から話かけられたり、話したりするのが嫌らしい。

こうした客の事情に店側の事情が合わせてのことなのだろう。こんな世情では個人商店が苦戦を強いられる。

確かに、看板を見れば何を商いにしているかわかる個人商店。
  靴屋、家具屋、洋服屋、漢方専門薬品店、お風呂屋、
  魚屋、八百屋、文房具屋、酒屋、おもちゃ屋、化粧品屋
が、今、危ないのである。

私が過って住んでいるところから坂を降り切ったところに賑やかな商店街があった。この街は、江戸時代後期には門前町として栄え、創業をその時代に遡る店が多数残っている。何代にも亘り顔なじみの客がおり、住民たちに愛されていることは無論のこと、最近は観光客にも恵まれる商店街である。

幸いに、この商店街は個人商店が多く話好きが俄然多い。
   “ちょいと魚屋さん”。“へい、毎度あり”。
とは、いかないまでも、まだ人の匂い、気配がする店が多いのである。

その商店街に、私のお気に入りのお喋りが楽しめる店が2店ある。

その一つが、ホームセンターに負けずに頑張っている金物屋。店頭には大小のバケツ、物干し竿,箒などが無造作に置かれ、店内には、狭い通路両脇に、金槌、ハンマー、ボルト、やかん、釘、接着剤、ホース、蛇口などがぎっしりと置かれている、お馴染みの懐かしい金物屋である。

いつも、奥詰まったレジの側には、暇を持て余し、手持ち無沙汰の兄弟二人が座っている。そんな店である。

もう一つは、クォーツ、デジタル、電子、使い捨ての今に乗り遅れた時計の修理屋がある。やはり、年老いた兄弟が店の奥に並んで座り、修理用メガネをかけ、見当はずれの情熱と熱心さで、不思議なことに忙しくしている店である。

この2店、いつ行っても客の姿をとんと見かけないのだが、店の開閉を規則正しい時間通りにしている、律儀な愛すべき店なのである。

新しい年号、令和の時代になり既に数年。江戸、明治,大正,昭和そうして平成と乗り越えてきた、私の贔屓の店2軒。

元気でいてもらわないといけない、私を幸せにする店である。

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