一幸37。神田散策(1)

暇を持て余し気味の仲間たちとの邂逅。

早起きの我ら、それに久々の仲間である。とても夜までは待てないと、皆、早々に家出る。長い幸せな一日となる。

さすがに我らの幹事役。そんな気持ちを見事に汲みとり、神田界隈を中心に、昼、中休み、夜と、それぞれの飲み喰い処を選び、その三拠点を結んだ線上に、腹こなしの散策を用意してくれた。

それも選んだ喰い処が憎い。昔の懐かしい、それぞれ、語りきれない程の物語を背負う名店“神田まつや”、“天野屋”、“みますや”の三店である。我らより遥かに長い歴史を持つ今も評判の店、見事な選びである。

集合は“神田まつや”となる。昼を蕎麦と妥当な選択。

神田での蕎麦となると、もう一軒外せない店がある。帳場に座る女将が、注文を調理場に通す声が懐かしい “かんだやぶそば”ある。

だが、彼が選んだのは、 ますます渋みが出てきた明治17年創業の、もう一軒の老舗神田まつや

当然、現役を退いた我ら、昼間から熱燗が加わる。お通しの「蕎麦味噌」をなめつつ熱燗での一杯が、気づくと4本、5本とお銚子が転がり始める。勤め人たちの早飯を横目に、昼の酒は良い酔いをくれると小宴会の様を見せ始める。

そんな長居をしたお昼を終え、仕上げの宵の酒宴を考えて少し体を動かさねばと、この界隈をそぞろ歩きである。

この一帯は、その かんだやぶそば、鶏すきのぼたん、あんこう鍋のいせ源、懐かしのショパンなどが散在する、今も人通りの絶えない江戸の下町情緒を色濃く残す界隈。

そこを通り抜け、その昔、東京駅を凌ぐ、交通の一大拠点であった万世橋で少し時間を使い、次に向かったのが、江戸東京に鎮座して1300年近い神田明神。

明神下から、我ら老人にはきつい階段をよじ登り、神殿で頭を下げ、早々に神田明神に寄り添うようにある天野屋で、甘酒を楽しみながの休憩をとる。江戸後期の創業、その当時から地下6mの土室で麹作りをしている店である。

まだまだ、空は明るい。さすがに、まだ、酒とはいかない。

それではと、幹事の指示に従い、湯島聖堂に立ち寄り、ついでにロシヤ正教のニコライ堂に立ち寄る。こうなれば、次に向かう先は、今ではすっかり、足が遠のいてしまっている、大正時代に始まる世界屈指の神田神保町の古本街。そこでの時間の流れは、ゆっくりとしたものになる。

            その2。に続く。

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