一幸38。神田散策(2)

冬の夜は早い

急ぎ神保町から淡路町方面に、いよいよ、今宵の酒宴処、創業明治38年、東京最古の居酒屋みますやに向かう。開店5時、少し早すぎたようだ。店前をうろうろする始末となった。


このみますや日露戦争の真っ最中の開店。

まるでタイムスリップしたかの佇まいの建物は、関東大震災後に再建し、第二次世界大戦の戦禍は運良く免れたという。今も、営業されているのが不思議とさえ思える奇跡の建物である。その店頭の、創業明治38年と大きく書かれた看板が人目をひく。

開店と同時での入店だが、予約のない我ら、入り口近くの相席となる。その人気ぶりが思い知らされた。決して、飛び抜けて美味しく、安いわけでもない。それでも、7時過ぎには、ほぼ満席状態。その人気ほどが窺える店である。

こうして、過ごした食べ処3軒。
それぞれ、激戦を生き抜いた歴史を背負う名店、見事な店々であつた。

だが、私は、蕎麦好きの私、神田まつやが一推しとなる。

下町の風情を残した店で味わう、その蕎麦は、工夫を重ね江戸の味を現代に引き継いでいるとのうたい文句に、贔屓の私は、すぐに納得してしまう。

そうして、神田まつやには、もう一つ、我らを魅了してしまう、おばさん達の存在がある。他の2店の接客は、学生や、今では当たり前になった外国人たち。

この神田まつやでは、丁寧に仕込まれた蕎麦が、おばさん達の接客で一段とその美味しさを増していた。

伝統を確かなものにし、居心地を良くしているのは、おばさん達のさりげない心配り、タイミングの良さ、細やかな心遣いなのである。

今、オリンピクで日本中、おもてなしが騒がしい。

ホテルでも、お店でも皆が、両手を揃え腹の下で決めての挨拶。形も大切だが、接客する心がなければ、猿の物まねとなる。

一茶が歌う。
   “鶯も 添えて 五文の茶代かな”
うぐいすがいなければ、せっかくの蕎麦の味も消え伏せる。

伝承のレシピに、今の味付けの料理。当時の面影を残した建物に、風情ある快適な店づくり。そして、おばさん達うぐいすをそっと添えるのである。

いよいよ、老人の良き昔病が嵩じてきたかと、大いに悩む。

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