一幸39。祖母の平手打ち。

消し忘れたTVからの大声に驚き、思わず本から顔を上げた。

目に飛び込んできたのは、お笑いタレントが手を叩きながら大笑し、“うまぁ”と絶叫しているお馴染みのグルメ店探訪番組であった。

それにしても、その種の番組でのタレント達の食事姿には、辟易させられる。何を食べても、 うまぁと絶叫し、大声ではしゃぎ、食べ散らかす。

子供時代、薙刀の型取の鍛錬を欠かさなかった祖母からの平手打ちを思い出し、思わず身を縮める食べ姿である。平手打ちを覚悟しなければならないマナー違反である。

ひと昔なら、注意する大人もいたのだが、どうなっているのだろか。面倒に巻き込まれると大変と顔を顰めるにとどめているのであろうか。

つい昔の日本にはあつた躾であり、子供の折、厳しく諭され教え込まされたマナー、“隣のテーブルに声が洩れるほどに大声で話さない”である。さらに言えば、食卓に肘を着いて食べにない、手盆もだめであり、食事を共にする周りの人への気遣いを欠くものである。

祖母の平手打ちの痛みを、手に懐かしく感じた時、ある年老いた見事な女性を思い出していた。その女性の立ち振る舞いには、思わず周りが一瞬、静寂に支配されることすらあった程の見事な立ち振る舞いであった。

今から、20数年前、近所付き合いが好きな隣人に恵まれたアパートに居を構えていたことがあった。今も、当時の住人の数家族とは、行き来するほどの気のあった仲間たちが奇跡的に住んでいたところであった。

こういう仲間は、パーティー好きが常である。月一度、週末には互に自宅に呼び合い大家をも巻き込んでのパーティー、クレームも出ない仕組みでの夜遅くまでの酒宴である。

ある時、江戸っ子芸者中村喜春をゲストとしてパーティーにお呼びしたことがあった。

喜春さんは、惚れられ請われ外交官と結婚した元ビルマ大使夫人で、その後、NYでは、オペラのコンサルタント、日本芸能をアメリカ人に教えるなど活躍した稀有な傑出した女性である。

お会いした時は、既に70後半の円熟した女性であつた。

彼女の長い畳生活で身につけた、さりげない立ち方、座り方の凛とした所作に魅了されたものである。特に、昔、厳しい祖母と重なる、見事な美しい食べ姿であった。不易の美しさを愉しめる瞬間であった。

平打ちを堂々と叩ける祖母の躊躇なさが羨ましい。情けなくて、泣くに泣けなかった遠い昔の手の痛み。

この痛みは、かつて誇れる文化と嗜みが日常にあった時代の幸せな思い出である。

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