いよいよ、宇宙船に乗船する。

これは、あるホテルで我ら夫婦を迎えた完全武装のフロントレディの一景である。
遠い昔の子供時代の思い出は、泥と水の中での友との取くみ合いであった。
裸足で駆けっこ。青鼻垂らした子との泥遊び。校庭の水道から口飲み。トンボとセミ捕り。ザリガニ獲り。フナ釣り。ドジョウ掴み。凧揚げ。隠れや作り。回転飛び込み。草相撲。コマ回し。ビー玉遊び。凧揚げ。ゴム輪飛ばし。
そうして、おふくろが握ったおにぎりを泥まみれの手で口いっぱい頬張り、大の字で野原に寝そべり大空を見上げて友との大笑いである。
だが、今の子供たちの遊びの舞台は自然界から距離を置いた無菌の世界である。自然界から遠ざかり、家でデジタルの中で友とつながり疑似体験で遊ぶ。
そうして、アルコールで綺麗に拭かれたテーブルで、ビニール手袋で握られたおにぎりを、アルコール消毒をした手で食べ、無菌工場で作られ密封されたプラスチック容器で水を飲む。
今の世、グローバル化された世界での生活、未開の内陸奥地からの食べ物が食卓に並ぶ。更に、世界のあらゆる国々から、違った衛生観念下に生活している大勢な人々が日本に訪れ、私たちの生活に紛れ込んでくる。
こんな時代、一工夫も二工夫も用心が肝要になることは分るが、やはり、全てを不衛生、感染危険と決めつけ、殺菌するには考えさせられる。
ほんの昔、我らは、母の乳を飲み、母が噛み砕き食べものを口にし、母の手で握ったむすびを食べていた。そうして、母の体内や手から抗原を少しずつ自分の体に取り込み、自然に抗体を作り上げていた。
そうやつて、体内の免疫システムを作り上げていた自然の防疫の術を捨て、どんな世界でどんな日常を過ごすことになるのであろうか。
そんな世界での毎日に疲れた私は、賢人の“月を眺め、晴耕雨読し碁をさす田園生活”に習い、この防疫の街を遠く離れ、砂浜でのごろ寝と木陰での読書を日常とし、夕には、うまい魚をもとめて漁港の街をさまよう生活を夢みる。
明日の朝、そんな海辺の町を探しに、車を走らせようと思っている。
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