一幸40。スタバの渋滞風景。

言葉の分化が新しい文化を生む。

カミュ異邦人の主人公ムルソーが、母の死の通知を受け養老院で出向いた折、母の亡骸が安置された小部屋で、門番の男から供されるコーヒーは、あの懐かしいミルクコーヒーである。

そう言えば、ほんの10数年昔、スターバックスが日本で展開を始めた1995年までは、コーヒーは、アイスかホットのブラックかミルクコーヒー、そうしてアメリカンだけの選択であった。

今は、ワインの選択に迫る選択の嵐である。

時に、スターバックスに迷い込んだ老夫婦達が、連なってレジを占領する風景に出くわすことがある。スタッフたちが、時には助け人も加わり悪戦苦闘である。

豆の種類は、熱いか冷たいか、カップの大きさは、抽出方法は、と度肝を抜く質問の嵐である。だが、それだけではない。ブラックコーヒーが苦手な客に対して、さらなる過酷な難問を用意して待ち構えている。

メニューボードに目を向けても、英語でも馴染みのない名前がイタリア語で書かれている。スタッフの説明を受けても横文字だらけ、さらなる混乱と困惑を増す。

メニュー数は、その組み合わせを加えると、優に100通り以上にもなるのではないだろうか。大変な選択肢である。これほどまでに選択肢があると苦痛になる。

私の朝は、引退したその日からスターバックスではじまる。

あの香ばしいコーヒー、明るい清潔な店、そうして笑顔を絶やさない優しい応対の若いスタッフたち。愛してやまない見事な店、やはりスターバックスである。

かつては、私も選択肢の多さに混乱の毎朝であった。すんなりとは馴染みの店にはしてくれなかった。スターバックスをスターバックスにたらしめている、あの選択の洗礼を受けたのである。

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毎日、供される豆は違う。数10種に及ぶ。さらに、カップサイズは4種また容器は2種、それとも持参する自分専用容器かと選択を求める。

また、抽出方式の4つの選択がある。ここまでの選択させるのであるから、当然、サービススタッフはコーヒーのソムリエの資格を取得した専門家。

こんな混乱から逃げ出すため、私はこのスターバックスに単純さを持ち込んでいる。

豆を、大きさを、そうして抽出方法を決め、毎朝同じものを選択し、その苦痛から逃げ出しているのである。

即ち、豆は スタンダードハウスブレンド、サイズは中位のトール、そうして抽出方法は豆の特質を丁寧に抽出する バキュームプレス方式クローバー、そうしてマイ・マグカップ持参する。

こうすると100円ほど価額がアップするが、選択するという煩わしさを避け、あの薫りゆたかな間違いなく美味しいコーヒーを楽しめる。それが私の静かな朝の秘訣である。

個性を、自由を強要するグローバルな情報社会。日常生活でさえ、いつもどこでも選択を強いられる。その煩わしさとその怪しさから、私は逃げ出すのである。

選択が100とある中で選択しないことで、美味しいコーヒーを心からたのしめる幸せな朝のひと時を得たのである。

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