一幸43。我が家の猫、化け猫となる。

我が家には20歳になる猫がいる。

猫もこの歳になると、人間の言葉が解るらしい。猫は、歳とともに賢くなり、化け猫となる。

ではと、我ら人間様はと観てみる。どうやら、決して知恵が豊かになるでもなく、只々、暇を持て余す身で、この世に居残っているだけのようである。

老人は、当然のことなが未来は短い。それにも変わらず、老人たちは、その残された短い時間を持て余し、暇だと嘆き暇つぶしに精を出す始末。

その一方で、季節の移ろいが年々早くなったと一抹の寂しさを感じるようにもなっている。これは決して、地球温暖化の話ではない。この歳の皆が感じる生理現象のこと。

だから、私たちは、その春の出頭を楽しむぐらいでないと、春を次の年まで待つはめになる。

顔に一瞬、春風を感じたら、それが今年の春。それにつれ、一雨一雨と春が深まる。後頭部に当たる日差しが、おや、少し暑いなと感じたら、とっくの昔に春は去り、夏が来てしまっているのである。

まさに、在原業平が歌う。

   桜のなかりせば 春の心は のどけかまし。

春は、せわしい去り方をするのである。

これさように、人が老いると季節の移ろいの速さに戸惑いを感じる。

だが、私たちは、ようやく、ゆったりした時の流れに身を置き、人生のgolden timeを楽しむ幸せな身になったのである。

こうした年になった我らは、暇のなかに日常がある身。子供が、日長な1日、時の経つのを忘れ、遊び転げるのと同じ時間なのだ。

暇つぶしと称して、散歩、コンサート,観劇,寄席、美術館、旅にと忙しく日を送る。夕刻になると、のこのこと出かけ、いつものカウンターで酒を飲む。

これは、決して、暇を潰しているのでなく、残り少ない命を削って生きる、人生のgolden timeを楽しんでいるのである。

そういえば、猫は一日眠り込んでいる。年々歳々、その時間は長くなる。その寝姿は屈託無く、実に幸せなそうである。

春の気が満ち満ちている心持ちをのどかという。そののどか長い閑と書く。

ようやくに手いれた、長い閑な時間、暇を潰しに、こころ忙しくあれこれとするのでなく、猫に習い、長い閑を腰据え過ごすのが良いのである。

暇の上にどっかり居座り、あぁ、幸せだぁ!である。

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