一幸49。人生は長く。退屈はさらに、さらに長い。

明治維新の騎士たちは、23、24、25歳で老成である。

あれほどのことをやってのけた、高杉晋作は27歳、坂本龍馬は31歳、近藤勇は33歳で、退屈の入り込む時間すらなく一生を終えている。

人生40年の枠組みでの時代でのはなしである。

また、定年が55歳であった昭和30年時代では、48歳は既に、初老であった。

石川達三著48歳の抵抗の主人公西村耕太郎は、 “あてのない遊びをするには年をとり過ぎ、しかし、欲望を断つにはまだ早い” とラスト・チャンスの思いで、酒場で知り合った19歳のユカリと熱海に出かける。

もう、この時代になると余生という時間が顔を見せ始め、人を悩まし、苦しめさせ始めているのである。

そうして、我らは、60を少し越した歳で引退。

だが、老人と、ご隠居さんと決してそう呼ばれる歳ではない。我らは気づくと、人生100年時代の枠組みに生きているのである。余生にしては命長しである。

あと、33年と近藤勇の一生を越す時間が残されているのである。

やがて、死が来るのだが、やはりそれなりの手を加えないと老後はとても耐え難いものになったのである。

   浜までは
   海女もみの着る
   時雨かな
      瓢水

体のあちこちにガタきてはいるも、まだ五体無事。だが、皮肉なことに、これほどに生き永らえも、それほどの賢さもなく、昔の幼い子供の自分がそのままここにいる。

夢見た完成度にはほど遠く、志は未完のままに放置された自分に、これからも末長く付き合っていくしかないのである。

これほどの難題を抱えて長生きを強いられる時代に、さらに、とんでもない勇気あふれる若者の記事に今朝、出会った。

今、米国の若者の間で“FIRE”と呼ばれる運動が広がっているらしい。

    Financial  Independence Retire Early
経済的に自立し、早く引退しよう

40歳前後でのリタイアを目指し、収入の7割を貯蓄に回し、家賃を浮かすため船で暮らしたりする人までいると言うのだ。彼らの時代は、人生120年の時代になっているはず。果たして、彼らは、どんな “人生120年のプログラム”を持っての引退であろうか。

坂本龍馬31歳+西村耕太郎48歳の人生を残しての引退なのである。

私は今、彼らに確かめたいと思っている。賢い彼らのこと、何かの回答を持っての挑戦的引退なのだろう。

今や我ら老いたるものは、SNSの手ほどきに頭を下げお願いする若者に、今度は人生の術すらもお教え請わないといけないなくなったようである。

なんと情けなく、しんどい時代になったことかと嘆息が出る始末。我らの老後は、全てが揺らぎ、春愁が付き纏う時間の中での生き永らえことになった。

だが、ここが肝心と気を平らにして,いや、ここは開き直り、何の疑問も罪意識も捨て、大らかに酒、旅、ゴルフの三大老人仕事に身を沈めるが良いのか。

そうすれば、実に豊かな少しはしゃいだ、幸せな日々になるのである。

だが一つ、ほどほどの命にするのが肝要である。

今の季節はまだ良いが、春先のゴルフ場のフェァウエーに新しい芝が萌える邪魔をしている枯芝を目にする。

我ら老人は、その例えの如く、若者たちの邪魔にならないように、潔い、早々の退場が良いようだ。

コメントはこちらから

コメントの表示が遅くなる場合がございます。