今日は私の誕生日である。
この機にと、私の車からの離脱を言う。そうして、社会も急き立てる。
車をこれほどまで走らせていると、いつの日か、あれやこれで命を縮める羽目になる。それに、他人の命すら危険な目に遭わす羽目になる。
こんな話が始まると、私は一人沈黙せざるを得ない。確かに、その通りである。車からの離脱の理由は山とある。
春先など眠さが襲い、目を開けているのが精一杯の危うい運転。お気に入りの景色に出会った折の脇見運転。長時間運転に足腰が硬直し機敏性が低下。車線変更や走行速度に、独自のルールをもつ日曜ドライバーの自己中の車に巻き込まれる、危険を避けるための機敏さの衰え。
そうしたことに加えて、昨今、車自体が社会から悪者扱いを受けやすい。
世間は車社会がもたす負の遺産をあげつらねる。交通渋滞、運動不足、大気汚染や騒音などの環境問題と悪口が尽きない。
そして、今や、その負の遺産を解決策として、自動運転の話題しきりである。危険運転は激減し、渋滞による経済損失も激減する。
曰く、
宅地の30%が駐車場、これがいらなくなる。
さらに言えば、郊外への人が移動しやすきなり、
都市集中が解消される。
良いこと尽くしのお話である。
それに、なんと、マイカーライフをやめさせる仕組みを、あのベンツすらも始めた。車の共有カーシェリングでのマイカーの打ち止めすら企て始めたのである。
ましても、私にとっての痛手は、仲間からも裏切り者が、ちらほらと出て来たことである。あろうことに、ゴルフ仲間から免許証返還の話がでるようになったのである。
いよいよ,内掘りも埋められつつある。正に、私の車生活は四面楚歌の最悪の状況。
だが、私は断然、こうした社会の風潮に慎重にこっそりと無視する。思い立って旅に発つ。それが私の旅。そうして、私の旅は、車でようやく全身が旅の心になれるのである。
今日も、やることの少なくなった退屈な日常から踏み出し、心情が満たされる所に向かって車を走らせる。
雨が降ってきた。天気の悪い日の車の旅は、日常では決して味わえない情景が、旅先には散らばっている。
人気の消えた砂浜、草原、宿場、山路、漁港と山里にと、何事にも代えがたい情景に出会える。それに、岐路に出会えば、直感に誘われ人気のない小径を選び、その先に広がる情景を独り占めするのである。
やはり無駄というものも大切だ。
残り時間が少なくなった私の人生。その中でも、効率とか合理性とか安全無事のお題目に惑わされることなく、車の負を自分一人でひきうける。
そうして、気ままな寄り道のある、車一人旅の幸せを楽しむのである。
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