何かにつけ、神社やお寺に参ることが増えた。
朝のウオーキングの途中に、また散歩の先には、神社がある。そう言えば、何かと車を走らす私の旅先にも,間違いなく神社仏閣がある。そうして出会う神仏に、今の幸せの感謝と、家族の友人の無病息災を祈り、頭を深々と下げている。
そうした祈りに、今、一つ加えたことがある。認知症の進行を恐れての祈りである。
長生きしても、決して賢くはならないもの。せめても、記憶力だけには手を加えておかないと、これからの人生はとても耐え難いものになる。
この数年、特に、老いという枷をはめられた記憶力,その衰えに怯える。記憶が、いよいよ怪しくガタが来たようだ。うっすらと先に見え隠れする記憶。なんとも悩ましい。
春霞、春愁、なのである。
今日、遠出した散歩で浅草寺に行った。

観光客でごった返した商店街を抜け出し、その先の、さらなる混雑する常香炉を目指した。辛抱強く人ごみの切れるのを待ち、目一杯お線香の煙を頭に浴びさせた。春霞に覆われ始めた物覚え。暫しの年月、その力を!とお祈りしたのである。

皆さんの対策はと、問いたいもの。それとも、うむ。心配がないのか。
私には、選り好みしている余裕はなく、銀杏の実も良いが、やはり、仏さん、神さんが一番。今日は、情け深い仏さんに頼るが良いとの浅草寺参りである。
機会あるごとに仏前に神前に立ち、深々と頭を下げ健脳を祈のる。神頼り仏頼りで、これからの残り少ない時間の幸せを手に入れるのである。
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