一旅14。いろいろなものが顔を出す道。

今、機中にいる。

成田を飛び立ち、少しうたた寝をしたのだろう。眼下にシベリアの広大な大地が広がってきた。遥かに人里離れた、荒涼たる大地にも筋となった一本の道が、はっきりと見て取れる。この荒地にも人跡がある。

そう言えば、オーストラリア大陸には人の目には見えないが、人通りの絶えない道が大陸いっぱいに広がっていると言う。

先住民アボリジニが先祖から引き継がれている「ソングライン」と言う道である。言葉に、絵に、そうして歌にして、代々子に伝えられていく道。その道には水のある、薬草となる植物の生える場所など、実際の生活に必要なものが満ちている生活“道”だと言う。

そんな思いに囚われていた折、ふっと、この旅に出る直前に行った旅先の道を思い出していた。秋の深まりを実感させる奈良の道である。

早朝、奈良ホテルから春日神社を目指す散歩に出かけた。だが、こう早くては参拝も叶わいないと思い返し、新薬師寺に向かう小道に向かった。

道は少し外れた道が良いのである。

実をたわわにした柿の木を覗かしている、朽ち落ちそうな土塀に沿った道に入り込んだ。千年ははるか超える時間を抱え込んだ私のお気に入りの道の一つである。

その土塀のしみ一つ一つに歴史が吸い込まれており、行き交う旅人にその薫りを滲み出させ、その昔に連れ戻す道である。

私の旅はRoadTripである。 “RoadNotTaken”を決して求めはしない。人に踏まれ踏まれた道をもとめて旅をする。

一輪のスミレが挿された赤い前掛けの道祖神が、ぽつんと佇む畦道に迷い込むのも良い。だが、やはり、私は人の気配が満ち満ちた道を私は選ぶ。

旅がくれる幸せは多い。

私の旅は、物語を持った豊穣な道を見つけ、その道端でしばし佇みその昔に思いを馳せる、そんな幸せをくれる旅である。

コメントはこちらから

コメントの表示が遅くなる場合がございます。