そう言えば、もう幾つかの椅子があった。
時には、トルコの男たちに習い、居場所を外に求めるも良い。何かにつけ、一人、行き先もなく走らす車。その車の椅子も私の居場所。
その自在性が実に良い。
時には、観覧席であり、食堂の椅子であり、コーヒーを愉しむ椅子にもなる。疲れを感じた折には、仮眠をとる椅子。
人を乗せた時もそれはそれで良い。友を乗せ、長旅の気兼ねない会話も弾む椅子となる。
妻を助手席に乗せた折には、慎重な話題選びと気配りとの効いた話し方、それに丁寧な慎重な運転に気を付けさえすれば、それはまた、良い時間を過ごせる椅子となる。
それに忘れてはいけないのが、思い出を助手席に座らせ走らせる。
一人旅。意外に賑やかな幸せな時間を過ごせる椅子ともなる。
あぁ、ゴルフ場にも幸せな椅子があった。戦いを終え、まず向かうのがゴルフ場のロッカールーム。汗にまみれたゴルフウェアと下着をむしり取り、ロッカーの前の椅子で暫し、今日の快打ショットの感触を思い出す。
幸せな椅子である。
そういえば、ジムでの椅子も決まってきた。90度越えるサウナに12分、そして逃げ出し2度目の汗を絞り出すため、暫し座り、時には軽い眠りに落ちる椅子、俄然、良い椅子である。
ほぼ定例となった朝のスタバ通い。開店と同時に向かう椅子は丁度、店が見渡せる隅の椅子。世から隠れ密かに生きる我が身が、戦いに挑んでいる現役の若き男女の朝の姿を垣間見るひと時を過ごす椅子である。
あえて言えば、夜な夜な通っている店も、決まった椅子がある。おばんざい屋、バー、小料理屋、フレンチ、焼肉屋、寿司屋、バルすらも決まった椅子を目指し、予約時に拘りの椅子の確保に、店の気配りを強いている。
困った居場所癖、私は椅子フィッチである。
こだわりの椅子にすわる。その居場所を得て、無聊をかこつ私の暫しの幸せを得ているのである。
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