一幸57。豆腐とわさび。

昨今、果たして、これで良いのだろうかと頭をかしげる食べ物に、よく出会う。

先ずは、豆腐

生ものの豆腐が、スーパーでの豆腐は、なんと、賞味期限が数か月とパッケージに堂々と書いてある。客は、その期間が長いものを棚の奥から引っ張り出し安心して買い物籠に入れる。

そうして、ありがたい便利な世の中になったと感謝する。

だが、よく考えると、なんだが,納得のいかない可笑しさがある。少し、奇異でもある。

そのスーパーから、ほんの20メートル離れた通りの奥詰まつたところに、昔ながらの豆腐屋がある。朝の10時には、その店の豆腐は売れ切れ、なんと店すらも閉めてしまう。

だが,店の窓のすりガラスから、薄らと灯りが漏れている時には、豆腐は無いのだが、濃厚な生くさい豆乳とおから(“雪花菜”なんと良い字であろう)が、手に入る。

そうして運良く手に入れた豆乳を、帰り道すがら飲み干す。

その豆乳、野生の匂いが喉に絡むほどに濃厚、体が迎えてくれる美味しさなのである。

スーパーの豆腐とは、なんという違いであろう。

次は、わさび

チューブ入り、パック入りと便利となった山葵。

ある蕎麦屋では、昔は捨てていた小ぶりの山葵が、おろし金を伴って,蕎麦と一緒にでてくる。昨今、寿司のわさびもチューブから絞り出される世の中で、精一杯の店の気張りと心配りが嬉しい。

昨夕、久々に寿司屋に寄った。

丁寧な仕事をする店で、行きつけとまではいかないが、時たま顔を出している店である。その店では当然、さりげなく、すりこぎ大の山葵が登場する。

親父の顔を見れば、すましてはいるが、
  これを御覧なさい。あの清流で採れたすぐれもの、それも
  私はその中ら選び抜いて仕入れているのですよ。
と語っているのが読み取れる。

親父は、私の鼻先で、おろしたわさびを包丁の背でよく叩く。わさびの特有の新緑を思い起こす爽やかな香りが鼻をくすぐる。

少し多めのわさびを、厚切りのヒラメに絡ませる。

チューブ入りの似非わさびの“つーぅん”とくる辛味はなく、じんわりと徐々に辣さが襲う。これが、コリッとしたヒラメによくあい、実に、うまい。

そうなると、酒は当然、超辛口、司牡丹の船中八策の冷となる。やはり、食べ物は、不器用頑固な親父が頑なに頑張る店に足を運び、それで、得られる自然の生の味を嗜むのが良いのである。

時には、便利とか進歩からとは、逃げ出し、難儀さをわざと選び、ようやく手に入れられる幸せを丁寧に、愉しむのが良いのである。

コメントはこちらから

コメントの表示が遅くなる場合がございます。