一幸61。神社が我らを大切にしだした。

今や、お寺と並び、神社もいよいよ老いたる者が主たる客となる

遠く離れていたTVだったが、この新型コロナウイリス騒ぎで 、TVを見る機会が増えた。相変わらずのお笑いタレントたちが、手を叩き大声で笑い喚く騒がしさに辟易させらながらの視聴である。

驚くことに、さらなる新しい騒がしさが加わっていた。

老いた我らを対象のサプリメントや健康器具の広告がやたら多くなっていた。それに、その広告は往年の名優たちが総出し、その効用の素晴らしさに彼らが驚く様を名演技させ、売り切るショッピング広告が増えている。

その広告の見事さに、私も思わず、ついつい、携帯を取り出し、注文を幾度かしてしまう始末。今では、そんな失敗を重ねた末、ようやく、ニュースに集中できるようになった。

さらに、神社も見事な商魂を見せ始めた。

久しく途切れている朝の散歩で、男坂53段の駆け上りお参りしていた由緒正しい日枝神社で見つけた、立て看板にそれを見た。

厄払いの神社参りの催促のその下に、長寿のお祝いに神社参りをせよ、と催促していたのである。目にした時は思わず目をむいたが、この時勢、すぐに納得がいった。

ほんの昔は、神社の祝い参りは、結婚式と七五三祝いと決まっていた。だが、神社も、少子高齢化社会の世の流れを読み取り、舵を大きく切ったようである。

厄払いをすべて終え縁が薄なった歳を重ねたものたちに、神社回帰をさせる企みである。

減少した子供たちの七五三祝いの減収と、結婚しない若者たちの結婚式の減収を、増えた老人たちで補う、そんな算段のようである。

長生きになった我ら老人も、まだ役に立つことがあるようである。神社に毎日詣し、硬貨でなく、それほど使い道のないのに、後生大切にしているお札をお賽銭箱に投げ込む。

それを毎朝の日課とすれば、唯一の愉しみのその酒代にも事欠くことになり、さらに、階段を駆け上る神社参りを日課とすれば、腹に脂肪もつかず医者いらずの健康な身となり、さらなる命を頂き、さらに、大判振る舞いの長寿のお祝いを神社でする。

そうすれば、神社がそれを世のために使いってくれると、言うことらしい。良いこと尽くしである。

そうこうしているうちには、後生大事にしていた老後資金も底をつき、寿命も無事果てる。そこで初めて、そうした気配りからも解放され、幸せにも、さっさと先に逝った友がいる、あの世での賑やかな幸せな日々が待っているのである。

寿命50がまさしく平均寿命であった時代の一茶の歌。
  “花じゃもの 我も今日から 38歳(39歳)”

それ例で言えば、人生100年が今や大方の寿命となったこの時代。
  “花じゃもの 我も今日から 88歳”

神社の企みに乗って、家族、友人総出で米寿祝いを自分自身の懐を痛めて大いに楽しむ。まだまだ、卒寿、白寿、百寿の祝いが続く。さらに踏ん張れば、茶寿、皇寿、大還暦の祝いを神社が用意しているのである。

一茶の辞世の句があるではないか。
    “ああままよ 生きても 亀の百分一”
と開き直り、さらに命を長らえるのも良いのである。

人助けをしながらの幸せな長寿なのである。

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