一幸63。南部坂と氷川神社。

今朝の散歩、少し遠出し裏路地、裏道に迷い込んで見た。

そうすると,どうだろう。すっかり見慣れた街もすっかりその装い変えて私を迎えてくれた。大通りから一本裏に隠れた小綺麗な店が並ぶ小さな通りに迷い込む。

その先で枝分けして、いつもなら避けそうな少し急な坂道にぶつかった。片側はアメリカ大使館員用の宿舎、その一方は低層の住居やビルが凸凹に並ぶ急峻な坂である。

どうも、一度見かけた風景である。

そうだ。この坂の上の角には、赤坂から移転したにっぽんの洋食 赤坂津つ井があり、評判の名物ビフテキ丼を食べに寄ったその帰り、この坂道を下り、我が家に帰った、その坂であった。

今日は散歩、ゆっくりとその急な坂を上る。目の先にアメリカ大使館宿舎が見え始めたそのわきに、馴染みの坂標識がありそれに南部坂とあった。

確か、南麻布のドイツ大使館と有栖川宮記念公園に挟まれた坂道が南部坂のはずと、立ち止まりその立て札を読む。

  “江戸時代初期、南部家中屋敷があった”とある。

この南部坂こそが、芝居が作った話ながも、元禄15年12月15日47士の吉良邸討ち入り前夜、大石内蔵助最後別れ、”南部坂雪の別れ“の坂なのである。

してみると、その先に瑶泉院暇乞いの赤穂藩浅野家があるはずと早速に調べてみる。ほんの50mの先に瑶泉院の実家浅野土佐守邸後に建立した氷川神社を見つけた。

どうやら、その南部家は南麻布に移転し、その南部家に因んで南部坂と称されたようだ。両坂とも、難歩坂とも書き換えても良いほど、散歩道にしては急な坂である。

散歩は、思いにもかけなかったものが転がっており、断然楽しい。しばし、遠くの昔に思いを馳せる幸せな散歩となった。

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