一幸64。老木と電子時計。

40歳を少し出たかと思える男性とのサウナでの話である。

サウナの中にもかかわらず腕時計をせわしく覗き込んでいる。ついつい、老人の常“忙しいそうですね”と、声をかけていた。

その若者から、嫌がらず答えが戻ってきた。”メールの応答と体からのシグナルのチェックです”。そうなると、まだまだ好奇心だけは負けない私、ついつい質問のラッシュとなる。

若者からの丁寧な説明があったが、理解が半分も届かない。どうやら、その腕時計には、携帯機能以外に種々の健康管理の簡単な機能が装備されているらしい。

若者たちの健康管理は、この数10年変ることなく、なおざりの定期健康診断を過去の遺物としてしまうほど、より徹底したものになっているようである。

だが、私は鏡と向き合えば、ほぼ自分の体の状態がわかる。

それに、ゴルフでのドライバーの飛距離、散歩時の足の運び方、食事の好みの変化で体調、極端に言えば内臓の調子も大抵のことは分かるものだと思っている。

しかし、我が体、いよいよらしい。老いが確かに我が身を覆い始め、全てが揺らぎ始めたようである。

届くと思って手を出すが届かない、跨げると足をあげてみたがその高さには届いていないことが多くなった。それに、精神の退廃につれ、五感も怪しくなり始めたようだ。視覚に始まり聴覚もおぼつかなくなっており、蝕覚だけはその敏感度は維持され無事であるが、臭覚も味覚も、そろそろである。

でも、一方では、若さの維持の葛藤。 若さの罠から解放され枯れるに任して見るのも良いと思うこともある。

散歩している折、見事な老木に出会うことがある。

春先など若々しい黄緑の新芽を吹き一瞬の輝きを見せる。ふっと目を幹に向けると、流石に経年の変化、劣化が見てとれ、その木の老いた姿は覆い隠しようがない。

だが、その枝ぶりの歪みや幹の積層の色は、味わい深いものである。私は、その老木に出会う度ごとに、その歪みや色合いの美しさに目を落とし、その老木に向い小声ながら声を出しその美しさを褒める。

樹木と同じように、人も年を重ねるごと枯れていく。枯れゆく様を受け入れ、老いだけが見せるそんな輝きと美しさを大切にしたいものである。

     “Healthy and beautifully Aging”。

これからは、若ぶることから解放され美しく歳を重ねる幸せを楽しむのである。

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