ラーメンという不思議な食べ物。
名前を変えながら愛し続けられている食べ物である。麺の名も時代によりて変わる。、昔の支那そば今のラーメン。
草の名も所によりて変わるなり難波の蘆は伊勢の濱萩
蕪村
戦前は支那そば、戦後は中華そば、そうして今はラーメンと何度と呼称を変え、その時代の風情を伝え永らえている。
この食べ物、水戸光圀公が日本人として初めて食べている。
そうして、Japanese Soba Noodles 蔦が、なんとミシュランガイドで一つ星を獲得している。
今や、支那からの食べ物が、我が同胞の料理人の手により、和食“ラーメン”と呼称を変え、世界で一大ブームを呼ぶほどのものになっているのである。
ラーメンは、私にとってそれほどの関心がある食べ物ではないが、だが、私にも思い出に残るラーメンがある。
半世紀前、パリの街角で食べたラーメン
銀座で飲み明かした夜、〆のラーメン
満腹が身上のランチでの、チャーハンと餃子と一
緒でのラーメン
息子に連られ、行った恵比寿駅前のカリスマ店主の
ラーメン
そうして、正月、日枝神社お参り後の家族ですする
じゃんがらラーメン
そう言えば、九州、中洲で食べた屋台での豚骨ラーメンと札幌で評判の札幌醤油ラーメンを食べたのを思い出した。そうして、忘れていけないのが、日清食品が発売した世界初のインスタント麺「チキンラーメン」
だが、思い出しては、当時と変わらない懐かしい味を今も楽しんでいる “ラーメン”が私にはある。
私が通っていた店は、事務所近くの赤坂“維新號”。
その店は、創業明治32年1899年の中華料理の老舗で、神田小川町に創業した当時には、遊学中の蒋介石,周恩来、魯迅の姿を見かけたと言われるほどの本場の味を出していた店である。
その店のラーメン、メニュー上の正しい呼称は,とり肉細切りつゆそばである。
鶏ガラスープの透明感のある滋味豊かなスープと程よい細麺が見事で、飽きがこない。おそらく,現役時代、私は、そのそばを1、000杯近くすすった勘定になる。それほどまでに、入れ込んだ麺である。
今も懐かしく思い出し年に何度かはのこのこ出かけては、そのつゆそば食べる。それほどまでに、好きになった食べ物、それも今も好きな時に、気楽に食べられるものは、そうそうあるものではない。
それは、とても幸せな事なことなのだ。
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