一幸66。心を緩める。

最近、自分でも、おやと思うほどに迂闊なぼんやりした自分と出会うようになった。

友と夜を一緒する折など、あれ程に好みがしっかりしている酒肴を、友に任せている。好みがしっかりしなくなったのではない。楽でそうするのでもなく、それに、どうでも良いのともは違うようだ。

この頃、とみに聞こえてくる心を緩めるが良いとの声に従ってみているのである。

人の好みに身を預ける、それも悪いはずがない。ゆる燗の酒、お湯も程よい熱さ、そんないい加減さの程良ささに身を委ねるのも良い。

そんな折、一人でことを運ぶ時とは違う、くつろいで居る自分を発見している。

だが、そんな緩い殊勝な自分で居る一方で、自分であることを解放し、その場限りの欲しいものやりたいことに、何の考えもなく無鉄砲に手を出す。そんないい加減をやってのけてもいいと思う自分もいる。

だが、そんな折も若い時と違って、日頃とそれ程の違いのない自分で居られる歳なのだ。

ただ、緩み過ぎず行き過ぎずに、退屈な時の流れをゆったりと身を委ねてみる。そんな時、日頃と違うちょっと違う、おゃと思える自分に出会えるに違いない。

人に委ねてみる。また、時には、心のあるままに任せてみる。
そんな緩い幸せがわかる歳になったのだろう。

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