一幸68。嫌なことはしない。その幸せ。

やけに、世の嫌なことが目につくようになった。

嫌なことには、目を閉じ耳を塞ぎ、鼻をつまみ、そっと手を引き口を閉じればいい。そのついでに、心も閉ざす。

とことん、嫌いなことから身を遠ざけ避ければ良いだけと、したり顔でいたが、どうにか5感は処理できるのだが、肝心な心の騒ぎにはどうにも処理が叶わない。

だが、考えてみれば、とりわけ騒ぐことでもない。嫌なことに出会うとごめんなさいと、逃げだせばよいだけの話。人ごみまみれ隠れ、都合良い時にひょっこりと頭出し、そっと遊ぶが良いと今はつくづくと思う。

そんな気ままが許される。日日是幸日が我ら引退した者たちの日々。

だが、優しい人たちは、みんな、多かれ少なかれそんな世界に身を置き、我慢し辛抱して、優し笑顔を絶やさず生きている。

   若く華やか時だけがその人の花でなく
  老いてこそ最も花として輝く。
   人生を一心不乱に務め、
  その時々に美しい瞬間を放ち続けたものが
  命の終盤で真の花を咲かせる。

    風姿花伝 世阿弥

あぁ、大変である。

嫌味がすぐに出る我が身大事のわたし。自戒し自ら厳しく戒め、自重して丁寧に生きねば、世間から捨てられ避けられ嫌われる人となる。

人にも幸せを与えることのできる人になれねば、決して幸せな人生で終わりを迎えるなど、出来ようはずもないのである。

そう言えば、無口だった親父にしろ、厳格な祖父も、早々に好々爺になっていた。

さぁ、今日から身を正し、笑顔の絶えない好々爺になるべく、日々を正しく生きるように努めねば、人生を幸せに終わらせることが出来ようはずもない。

老樹も人知れず密かに花を咲かせ、人に春の幸せを与えている。

自戒を込めての一文である。

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