一言19。小さな立て札。

ちょっと、可笑しいことに出会った

世の中は気をつけて見ると見慣れた風景の中に、おゃ?と思うことが転がっている。決して意地悪な目を通してのことではないのだが,ちょっと、可笑しいのだ。

今朝、散歩で,青山通り沿いに東宮御所の側を歩いた。そこで,目にしたのが土盛りした芝の上に、ちょこんと立てられた小さな立て札。それには、“土手に上らないで下さい。”とある。

だが、この警告考えてみると、ちょっと可笑しい。
その場所は日中夜、何人かの警護の警察がこの塀沿いに 巡回している。

その立て札が立てられている1mを越える土手は、2mを越 す石垣。さらにそのの上には土盛りされている。それも直立とは言わないが、それに近い勾配がある。目隠しの生垣根の樹木が生い茂っていると念の入れようである。

誰が、この塀によじ登ることができるのだろうか。

それに、仮にある目的、意図を持ってここに登る決心したものが、この立て札に躊躇することになるのだろうか。

この立て札には、私にはうかがい知れない効用があり、規則がその効用を考えてそうさせているに違いないのだが、やはり、思わず苦笑が漏れる。

しかし、小さいながらこの立て札は、散歩する人たちの気分を削ぐことだけは確かである。

  “あぁ、天気のいい日だ。ひょっとすると、
  天皇皇后両陛下が愛子さまと、散歩されているのでは?“
などと思う。

そんな穏やかな気持ちを、この小さな立て札は、一気にものものしいものにしてしまうとは、当事者は考えなかったのだろうか。

実に、皮肉なものと思うのは私だけだろうか。とりわけ騒ぐことでもないこと、人は笑うのかもしれない。

だが、不可解な可笑さである。

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