一幸72。激変した食生活。

塩パン・パンサレの登場である。

今、ご飯・米飯をやめている。こだわりが半端でなかった私のご飯好きが、辞めている。

そのこだわりは,先ず米選びに始まった。人気を聞きつけ、銘酒八海山と同じ水で育つ南魚沼の米を、農家から直接買い付け、その都度精米し送らせる。

また、時には、友人に進められるままに、有名な米ブレンダーによる、何種かの米をブレンドしたこだわりの米を取り寄せるといった拘りようだった。

そうなると、電気釜での炊飯では手落ちと、栗原はるみブランドの土釜で炊く。さらには、炊飯の水が大切と、鹿児島の天然水,地下1万メートルの地下水財宝温泉水とこだわる。

そうして、炊き揚がつたごはんは、香りが鼻腔を打つ。湯気に隠れていた一粒一粒が立っている。実に、絶品である。

兎に角、旨い。余計なおかずなどいらない。ただ,香のものが一品あれば、それで良い。当然ながら杯を重ねることとなる。

その結果、腹回りが膨れ上がるのは当然の報い。その様を、きつく友人の医者に諭され、引退を機に、ローカーボンダイエットを始め、あれほどまでのこだわりと工夫の限りをしていた米飯を、きっぱりと断った。

不思議なことに、米を食べないと食べ物の好みが激変する。

昆布、鰹節,いりこ、干し煮物、砂糖をベースとした和の食事が欲しくなくなる。所謂、ご飯がすすむ料理は、一気に食卓から姿を消えた。

特に、魚からは距離ができ始め、魚から肉にと一変。

所謂、洋に舵が切られ、当然、日本酒はワインに席を譲り、乾き物やひじき、酢物、刺身も姿を消し、チーズ、サラミ、プロシュートがテーブルにのぼり始めた。

当然のことながら、パンが食卓に姿を見せはじめた。

パンとバージン・オリーブオイルが、ご飯と香の物に変わり食卓に登場である。

ご飯は、食がすすむように、主菜のご飯が、副菜(西洋料理ではメインデッシュなのだが、いわゆるオカズ)の前方に置かれ、それに、左手の中にはいつも茶碗が在り、右手には箸が休み間も無く握られていた。

一方、ブレッドは脇役の分際を心得て、主菜・メインデッシュから少し離れた左上が定位置となる。

さて、そのパンは、俄然、バケットである。だが、その美味しさは群を抜く。問題は、美味しさゆえにメイン料理を差し置いて、食事での主役を、ご飯と同じように演じ始める。所謂、さらに“食がすすむ”のである。

本末転倒の美味しさである。早々、退場をお願いした。そこで見つけたのが、ほどほどの美味しさの、塩パン、パンサレ

選んだのは、フランス、北部の都市リールに創設された老舗PAULのそれである。食事は丁寧に。こだわりもいい加減しなくてはと大いに反省しながらの選びである。

腹の膨らみを心配せずに済む、今日も、PAULで買う。
幸せな食卓の“脇役”を見事に果たしているパンサレである。

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