鶏肉をぶつ切りにして串に刺し焼く。それが焼き鳥である。
実にシンプルな料理ながら,私の夜には、欠かせない一品である。私が通う焼き鳥屋は、麻布山の仙台坂を駆け下りた角、麻布十番商店街の端れにある鶏繁である。

すっかり馴染みなった店。
九州男児を店長に,鉢巻が異様に似合う男気のある焼き方、手早く給じする気の良い女性達3人,それに店奥のキッチンで、顔みせずに下ごしらえに専念のスタッフ2人、そんなこじんまりとした,私には相性が合ういい店である。
今宵も、カウンター席の奥の席に着く。
顔馴染み長髪の僧侶、彼がいつものカウンターの角の席に着いていた。目線での挨拶を交わせるだけだか、馴染みの客に会う、そんな店がいいごちが良い。
カウンター越しに、串回しに忙しい焼き手の姿が、備長炭炭の香り越しに目に入る。一気に喉がなる。
いつもの辛口 宮城の日高見 を頼み、いつもの手順で串を頼む。私の焼き鳥は、4本。先ずは、砂肝。砂嚢、筋肉質の歯ごたえがたまらない。

つづいて、パリッと皮が香ばしく焼き上がった手羽先の脂肪。骨にこびりついた身を丁寧に食べる。次に入る前に,銀杏で中休み。
このタイミングで、気の良い若い女の給仕がサービスのサラダを持ってきた。その機に、お銚子をもう一本頼む。
さて、三本目はなめらかな舌触りのレバー。加減鮮度が命。まろやかな甘みとコクがそれを保証している。
さて、仕上げは、ももやむね肉と軟骨いりのつくね。今夜はやけに食が進む。歯応えのよい砂肝をもう一本頼んでいた。
締めは,やはり、鶏ガラスープが絡んだラーメンをハーフ。

当然,焼き鳥屋の夜は女房どの顰めっ面ともに、煙にまみれたシャツが洗濯機に投げ込まれて、幸せな夜の終わりをむかえる。
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