やけに、世の嫌なことが目につくようになった。
そんなことには、目を閉じ、耳を鼻も塞ぎ、そっと手を引き、口を閉じ、そのついでに心も閉ざす。どうにか、五感は処理できると、とことん嫌いなことから身を遠ざけ良いだけと、したり顔でいた。
肝心な心の騒ぎには、どうにも処理が叶わない。だが、考えてみれば、とりわけ騒ぐことでもない。嫌なことに出会うとごめんなさいと、逃げだせばよいだけの話。
人ごみに紛れ、都合良い時にひょっこりと頭出し、そっと遊ぶが良いとつくづくと思う。そんな気ままが許される。日日是幸日が、我ら引退した者たちの日々。
だが、優しい人たちは、みんな、多かれ少なかれそんな世界に身を置き、我慢し辛抱して、優しい笑顔を絶やさず生きている。
若く華やかな時だけがその人の花でなく
老いてこそ最も花として輝く。
人生を一心不乱に務め、
その時々に美しい瞬間を放ち続けたものが
命の終盤で真の花を咲かせる。
世阿弥の風姿花伝
さぁ、大変である。
嫌味がすぐに出る我が身大事のわたし。
自戒し自ら厳しく戒め、自重して丁寧に生きねば、世間から捨てられ避けられ嫌われる人となる。
人にも幸せを与えることのできる人になれねば、決して幸せな人生で終わりを迎えるなど、出来ようはずもないのである。
そう言えば、無口だった親父にしろ、厳格な祖父も、早くに好々爺になっていた。
さぁ、今日から身を正し、笑顔の絶えない好々爺になるべく、日々を正しく生きるように努めねば、人生を幸せに終わらせることが出来るはずもない。
老樹も人知れず密かに花を咲かせ、人に一時の幸せを与えている。自戒を込めての一文である。
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