今は、結婚、恋愛適齢期が曖昧模糊となり消え去っている。では、老人適齢期は、果たしてどの年齢世代をさしているのだろうか。
いよいよ、政府は老齢年金の支給時期を75歳に繰り下げるべく、国会での論議が始まった。予想を超える長寿社会の到来で厚生年金、国民年金、健康保険が財政を逼迫させており、老齢人口の過剰に国家が耐えられなくなっている。
役人たちのいつものお役人仕事と地元対策を優先する政治家達が、この時代まで放置したつけが、いよいよなのだ。
人生50年の時代に生きた年寄りと呼ばれる人たちは、40にも届かない歳で家督を息子にさっと譲って隠居。そうして、世俗的な煩わしさかから離れ、静かに思索をめぐらす隠者となった。
時には、横丁の隠居さんの役割を演じる生き方をした。
だが、雀百までピョンピョンと跳ね歩く人生100年の時代。その時代に、60半ばの歳で引退し実社会からはみ出る。そうして、余生としては長い40年もの年月を老人と呼ばれ生きる。
そこで、慌てた役所はこんな呼び名をした。
前期高齢者 65−74 young old
中期高齢者 75−84 mild old
後期高齢者 85以上 old-old
役所仕事に任すと、老人を刻み前中後と、まるで鰻重の松竹梅である。それに、丁寧に英語をも添えるお粗末さ。
だから、老人は、自笑、失笑しならが、事あるごとに老人ですので、ごめんなさい、といつも逃げ先を用意し人ごみに紛れこみ悪さをする。
“老人閑居して不善をなし、晩年を汚す”
なのである。
呼び名一つで元気も出ように、老人との呼称がすべての原因を作り出しているように思える。
老人たちを煽てあげ目覚めさせ、もう一度世に引っ張り出せば、介護も健康保険も要らずの老人となり、もう一度、世にしゃしゃり出て、後生大事にしまい込んでいる大きなお金を使い、世の中の景気に尽くす。
安倍元首相が唱える一億総活躍 である。
そんな大それたことを、老人とよばれて永い私が楽観的に思う。先ずは、隗より始めよの例えの如く、呼称からである。
これほどの大事、本来なら国学者、心理学者、社会行動者、哲学者とお偉い学者先生、総出の議論を始めるが良いのだ。
その2に続く。
コメントはこちらから