一幸80。約束しない。その幸せ。

“約束しない”と”約束がない”とは、“ない”ことに違いない

だが、同じようで全く違う。“live 生きる”をひっくり返すと“evil 悪魔”となる。それほどの違いがある。

只さえ、少なくなった約束。真っ白な予定表をため息交じりで眺める、そんな毎日ながらも、示し合わせて事をすることに戸惑うようになった。

今、私は引退者の特権を行使し“約束しない”。自分を縛る約束は一切しない。

気をつかわない、肩を張らない、我慢するような場面にならない、そんな気儘な我儘な生活の幸せを噛みしめている。引退後の自由な時間を、新しい日常のリズムを身に覚えさせ過ごしている。

散歩の途中に寄る毎朝のスタバ通い、
すっかり馴染みなった、おばさんが握るおにぎりでの朝昼兼用
の食事、
下町の風情を色濃く残した商店街を素見しながら立ち寄る本屋
での立ち読み、
夕食前のジム通いでの泳ぎとサウナでの汗流し、
チーズとサラミとドライフルーツをつまみでシャルドネでの
食前の一杯,
それとメインと呼べないほどの一皿を食して、
そうして、ベッドの中での就寝前のせいぜい30分ほどの読書。 そうしているうちに、とんでもない旅をしでかす夢の中に落ち
込む。

だが、こうした日常も退屈となり、ゴルフ、一人酒、車一人旅と日常から少しはみ出てみる。だが、それも気ままさを大切にした約束しないものとなる。

ゴルフも以前であれば、友と示し合わせていくのだが、今は、ぶらりと一人で出かける。約束して事に当たるのが億劫、大儀になった。

前夜の過ごし方、体調、朝起きた時の気分、空模様、起床時間では、ゴルフ気分にならい時がある。そんな折の約束が重荷になるのである。

夜の一杯にも、示し合わせてのものになると、場所も店も時間も相手に合わせてのものになる。気分に合わせの一人での一杯は、寂しいようでそうではない。

行きつけの店なら、親父との重荷にならないおしゃべりと、顔見知りの客との目線での挨拶で済み、飲むペースも酒肴も遠慮のいらないものになる。

は無論、思い立ったら出かける車一人旅。大まかな日程と場所を決めれば、後はその日その時次第で気分の赴くままに、宿もその夜も予約もなく飛び込みのものとなる。

好きな処に、行きたくなった時に、好きなだけいれる、ぶらりとした旅ができるのである。

ますます、気儘我儘気分と嫌な自分が大きくなってきた。でも、そんな事が許される歳になったのであろう。今日も、本棚の前での時間を過ごしながら、古都への旅で心の中は忙しく騒がしい。

こうした人恋しさと気ままとの狭間で、孤立を楽しむ己の道を一人歩みながら花を咲かせる、そんな幸せに生きる。

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