一幸81。忘れ、忘れられる。その幸せ。

この歳での未来は短い。いや、今生きている現在が既に未来なのだ。

ぼさぼさと、世間に煩わされている時間は、もうないようだ。
だが、そんな残り少ない時間を幸せにすることなど、なぁ〜に、わけないことである。

とことん、世間での義理から離れ、可能の限りに世間を忘れ、世間から忘れられれば、良いだけなのである。そうすれば、まだ、退屈するほどの時間が確保できる。

現役時代には、出来ない相談であったが、今は世間との間合いをとる術を身につけ、とことん孤立を楽しんでいる。

だが、世間と縁を全く切るという訳はいかないのだが、雁字搦めのややこしい仕来りや慣例、そんな世間との付き合いから、巧みに逃げ出し,こっそり生きる手立てを身につけるのである。

さらに、今までの世間とのつながりの棚卸し、煩雑な社交関係から遠ざかり、断固して自分の時間をさらにしつかりと確保する。

忘八(仁・義・礼・智・信・忠・孝•悌を忘れる)までは、到底いかないが、せめて儀礼・義理やなんとなく続いている惰性の付き合いからは逃げ出す。

少し、退屈で人恋しいと、のこのことつい連絡をとってしまう間違いをすることもあるが、そこは断固と止まり、その退屈がまた楽しいと開き直る頑固さを身上とする。

そんな覚悟あっての俄然の忘れである。

車中の人となるという、てっとり早い良い手がある。。

自分から見えているが世間からは隠れ見えず、騒がしい世間は、私のお気に入りの2シートの車では、そうそう世間は乗れない。騒がしい世間が入り込むスペースなどとてもない。

時に、そんな世間に会いたい折には、車を止め、のこのこと下りていけばよいのである。

そんな気ままな、我儘。世間を忘れ、世間から忘れられて、自由闊達に己の道を一人で歩む。そんな幸せの小さな花を咲かせる隠居生活を、こっそり楽しむ。

“死に支度いたせいたせと桜かな”
そしているうちに、最後の桜の季節をむかえる。

“桜のあまりにも早い散華”
と、少し欲しんでくれほどの歳で漸く、退屈な窮屈なこの世を
幸せにも終え、やがて、みんなの記憶から消えて無くなる。

“忘れ、忘れられる”。そんな幸せな老後を終えるのである。

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