
これはこれで、議論も多いだろし面倒だ。いっそう、無臭では如何?人それぞれ、生き方様々。自由に“どうぞ”である。
十路、二十路、三十路、四十路、五十路、六十路、七十路、
八十路、九十路、百路
だが、厳しく見れば、九十路、百路は、老人と呼ばれ生き永らえるなら、あとは野になれ山となれと言われ、世の中には無用な年寄りと成り果てる。
人間の誰ものが持つ野たれ死への希求を自分らで果たし、自由な晩年の過ごし方をすれば良いと突き放してみる。
老人との呼称を変えて、着飾った呼称で 老人おだて上げ作戦は金要らずの最高最良の施策である。それに、老人たちも、そんな終わり方ができれば、人生が輝きあった幸せなものになる。
それに、彼らをその気にさせるべく呼称を変える。それだけで、莫大な社会保障関連の予算を大幅に削り、少年たちの教育に資金を回すことも可能となる。

老人によし、若者によし、社会によしの、三方よしの話である。
さて、皆さんのお考えを聞きたいものです。
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