一皿28。嵯峨の湯豆腐。

京での正月、湯豆腐を食べる。

雷電で仁和寺から嵐山に行く。その足で天龍寺の妙智院の境内にある西山艸堂にむかった。だが、元旦は休みの様子。いつものことながら下調べもなく思いついてのこと、仕方ない。

嵯峨、嵐山にもう一軒、いい店がある。

鴨川沿いに、吉兆を少し越した先に横に入る道がある。その道を曲がり、さほど行かずに、その店の看板を見つけることができる。

嵯峨野 湯豆腐である。

案内され、庭を見下ろす二階の窓際の席についた。料理が運ばれるタイミングに合わせたように、小雪が舞い始め、あっと言う間にその広い庭が雪化粧した。

あぁ、この景色、厳冬に入る寸前の永平寺と趣がどこか似ている。

雪と湯豆腐。永平寺の修行僧にとっては、この二つは切っても切れない。冬に備えてのためだろう。炭俵を背負い、急な階段の廊下をかけ登っている修行僧。

その階段を登りきり、山沿いに降り切った所が大庫院 僧たちの台所。そこには大鉢と大すりこぎがある。
修行僧にとっては、食べることも心身を自然と調和させる修行となる。

動物性の素材を一切使用せず、新鮮な四季折々の素材、葉っぱや木の実、根を食する。
そこで、三日に一度はタンパク質として大豆、豆腐から植物性脂肪を摂る。そんな厳しい食事をとりながら、何年も修行僧として過ごすという。

そう言えば、禅宗の僧は太鼓腹もなく、細身で長寿。それに預かろうと、湯豆腐料理は、京を訪れるものたちを魅了し続けている。

都会に住む我らにとって、庭園という贅沢な拵えの非日常の中で、厳しい修行僧を思い浮かべながら、伝統に磨かれた湯豆腐を食べる。

そうしてみれば、いつも、その値段の法外さに驚かされているが、意外に妥当なものかもしれないと、気付かされた。

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