一景25。雪景色と田中角榮。

田中角栄元総理大臣の地元でのスピーチ

“三国峠をダイナマイトで吹き飛ばせば、越後に雪が降らなくなる。切り崩した土を日本海に持って行く。埋め立てて佐渡を陸続きにさせていいのであります“。

この正月、京都で過ごすことを決め、車の整備を始めた。それを見て妻の小言が漏れ始めた。

先ずの一言が、“新東名での改修工事で遠回りを強いられる。その上に、帰省者の車で渋滞が心配だ”。続いてが、“天気が怪しい。何だが雪模様の予報のようだ”。である。
そうして、ダメ押しが、“私の運転の無遠慮さとスピードが、気が重い”、と畳み掛けてきた。

いつもながら、当然のことのようにことが運び、新幹線での京都行きと決った。

気ままな車一人旅であれば、雪に会えば、それを楽しむ。さっさと横道に逸れ、温泉宿を見つけて雪見酒と洒落れば良い。

だが、今回はそうはいかない。
しっかりと隅々まだ計画された旅。
妻との二人連れとなると、いつもの、そんな変更は許されない。

名古屋を越えたあたりから雪景色が目に飛びこんできた。スピードを誇る新幹線も、トラックが伴走できるほどの速さで徐行となる。

妻がしたり顔で頷く。いつものように妻が正しい。

今一度、日本列島を思い出し、目に浮かべてほしい。

能登半島より西側の麓の福井、米原滋賀、京都から三重湾まで、新潟の三国峠のように、その雪雲を遮るほどの山脈はない。

日本海側で大雪が続くその折には、関ケ原、米原には雪による災害警戒が発出される。
   “関ケ原で史上一位の積雪を予報。夜遅くにかけて大雪“
   との警報の発出である。

大晦日に雪。新幹線の乗客たちが一様に、久しぶりの雪景色を見入っていた。

田中角栄の日本大改造構想が実行に移されていたら、関東平野にも強い寒気ともに雪雲が流れ込み、関ケ原と同じように、大雪警報が頻繁に発出されることになる。

東京に住む我らにとっては、とんでもない田中角栄首相のあのスピーチ。

だが、そのスピーチも実現など不可能であることを、田中角栄も地元の人々も重々承知の上。
毎冬、その豪雪に悩まされている地元の人たちは、どんな思いで、そのスピーチを聞き入っていたのだろうか。

彼らの瞼の奥には、どんな景色が描かれていたのだろうか。

それほどに、毎年の大雪に悩み、春の早い到来に夢見みながら生活する新潟の人たち。

豪雪のない冬、そんな夢を見せてくれる田中角栄に、人々がどれほどに惚れ込み、その人気がどれほど高いものだったかを、思い知った関ケ原の雪景色であった。

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