一言26。日本列島が里帰りを始めた。

日本列島は毎年2cm、ユーラシア大陸に近づいている。
3億年前、大陸から切り離され誕生した日本列島。どうやら、ゆっくりと元の鞘に戻っているようだ。

地球が生き物であることを思い出させる。

そんな記事に、がぜん私の旅心に火がつき、バッグに思いつくものを詰め込め、中央道を西に走る。そんな車一人旅が唐突にまた始まった。

かれこれ2時間、車を走らせている。そろそろ、一休みと考えていたその折、甲府出口まで2kmとの表示が目に入る。

その甲府の字に、ふっと、太宰治の“小さな、活気のある街”の一節が、頭を横切った。この旅も、一気に目的地までとはいかず、いつもながら、横道にそれた旅となる。

太宰治が甲府について。
“ハイカラでシルクハットを倒さまにして、その帽子の底に
小さな旗を立てた、きれいに文化のしみとおっている“。

こんな言葉に誘われての途中下車である。
ハイカラな街とは、見事に言い当てた、実に良い街であった。

そのハイカラな象徴的な駅前広場から、城下町らしい落ち着きある街並みを抜け、その先の坂道を登りつめたところが、太宰治碑も建つ御崎神社(武田神社)である。

その神社からは、彼の“富嶽百景”をもう一度読み直してみようと思わせる、そんな富士の姿があった。

良い道草。あとは、一気に目的地に車を走らせる。

今、世界が騒々しい。それにつれ、日本列島も怪しい。
南太平洋トンガ諸島海底火山噴火
インドネシア付近
バンダ海 
ペルー北部アラスカ半島、などなど。
今となく、地震が世界で頻発している。
それに連動してか、日本列島も揺れ動く。

どうやら、自然の手による日本列島のとてつもない大改造が、現実味を帯始めているようである。

こことばかりに、敏感なジャーナリストが、富士山噴火の予測を頻繁に報じ始め、“小松左京の日本沈没”を再度映画化して、家庭にドラマしたての不安を持ち込む。

今回の旅の企みは、日本列島を西南日本と東北日本に分断する大きな溝となる出発ポイントを、目で確かめるためである。

日本最大の二つの断層帯、中央構造線断層帯と糸魚川静岡構造線が交わるポイントである。

その一つ、中央構造線断層帯とは、淡路大震災、大分熊本大地震を引き起こした全長約444kmの長大な断層。大分県由布市から関東近畿地方の金剛山地の東縁へ横断する世界第一級の断層である。

もう一つ、糸魚川静岡構造線は、新潟糸魚川の親不知から、静岡の安部川に至る断層。この糸魚線を境として、地質および生態系が大きく異なり、日本を東西に分けている断層帯である。

今回の私の旅は、いつものと違い念の入ったものとなっている。

先ず、詳細な情報を得るため、伊那市の市役所に立ち寄る。

女性スタッフの丁寧な応対を得て、ネットでは得られない現地故に得られる、詳細な情報を資料共に得た。

先ずは、中央構造線断層の地層が、地表に露出している二つの露頭、北川露頭と安康露頭。

いつもにない十全な準備で、イメージも十分に深く、さらに広がったものになっている。そうした上での肉眼でのリアルな確認。さりげなく見せるその露頭が、大地を激しく震わせ躍動する様を心頭で感じさられた。

さて、いよいよ、である。
二つの構造線断層が交差している接点に向けて車を走らせる。

その接点は、伊那市から茅野市を結ぶ杖突街道沿い、信州杖突峠の “峠の茶屋”から展望できる。

その茶屋からは、信州三景観のひとつに数えられる絶景、八ヶ岳や霧ヶ峰、美ヶ原、北アルプスの山並み、さらに諏訪湖までが、一望できた。

さて、その接点は、ただ、穏やかな、さりげない風景の中に埋もれていた。やがて起こる日本列島大改造、その出発の時を静かに待っていた。


そんな興奮を抱えながら、今宵の宿と酒蔵を求めて松山の城下街を彷徨する。宿につき荷を解き、湯を浴び、駅前の横丁に見つけた酒蔵に急く。

私の旅の一日は、良い酒、良い魚が待つ酒蔵のいつものカウンターでの夜で終わる。

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