迂闊なことだが、見立て違いの事態が起こった。
わたしの息子達二人は、一人はデンバー、またの一人はサンフランシスコと、日本を離れてアメリカに住む。
息子達ふたり共が、日本を捨てアメリカに永住を決めたのだ。
私たちが気付いた時には、既に既成事実化しており、息子達から半ば強制的な承認を求められて、ハイと言ってしまっていた。
全く合点がいかない事だが、子供は、いささかも曇りがない決心。彼らにとっては、日本よりアメリカが、遥かに居心地の良い馴れ染んだ国なのだ。
学校もアメリカ、結婚相手もそれぞれ学校の同級生となると、当然、仕事先もアメリカとなる。そうして、彼らは住まいをアメリカに定め、子供を持つこととなった。
長男はすでに二人の男児をもち、下の息子はこの暮れにベビー誕生である。
彼らの日本への帰郷、日本での定住は望みなしである。
となれば、我ら夫婦が子供と孫達逢いに、のこのことアメリカ詣でとなる。
そんな事情が我ら夫婦を、年数ヶ月のアメリカでの定住を強いられることとなった。
さらばと、早々に二人の息子達に、滞在に耐える我らの住居空間、言い換えれば、我ら夫婦の独立した部屋を要求したのは、当然なことである。
その要求に慌てた息子たちは、住居を少し郊外に移し、そのスペースの確保を約束した。
当然、彼らは我らにも相当の負担を要求。
そこで、我らも彼らの帰郷を見込んでの住居から、夫婦二人の住居に住み替え、それで残った資金をアメリカの住居に充当する事になった。
こうした経由を得て、我らの生活が、日米を、旅するように住む。住むように旅することとなった。
私たちがアメリカに行くたびに、友たちは、アメリカに旅だと言う。だが、私は少し違和感を覚える。
アメリカにいる息子を訪ねただけで、決して旅をしている訳ではない。訪ねる先が、太平洋を渡る先になっただけでのことである。
私の本当の旅は、息子達の家をベースキャンプとして始まる。今、全米の地図を広げ、この広大な大地を隅々まで調べることに余念がない。
さぁ、新しい旅の出発である。
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