一景29。天授庵。

また、訪れていた。

今回の旅は琵琶湖を丁寧に一周する、下調べも十分な車一人旅。それも、宿も大津市内と彦根の城下街と珍しく事前に決め、前泊を京都とした3泊4日の旅である。

しかし、私の旅は、予定通りには行かない。
やはり、毎夜、京の宿に戻っていた。

京に身をおくと、詩仙堂や天授庵と心が動く。
ほんの数年前までは、無鄰菴もあったが、心違いとしか思えない案内員が配置され、すっかり遠のいている。

この三つの名庭、そのいずれもが、京には珍しく、お線香より蚊取り線香が似合う。

季節ごとに姿を変える小さな庭と池、その庭に添っての濡れ縁の廊下、その奥には、人の住まいだったことを微かにだが思い出させる障子、畳と襖が目に入る。

いずれも、訪れるタイミングが肝要。

人気のまだない開園直前、人気の消える閉園時、それに、梅雨時期の雨の日や最盛夏の昼真を選ぶ。それに、雪に埋もれる日も格別で良い。

そんな折りは、私一人だけの京の別宅となる。

今回は、宿から近いこともあり、天授庵とした。

受け付けの上品な小母さんの笑みを浮かべての“お帰りなさい”に迎えられる。

この庵の過ごし方の手順は決まっている。

小母さんの言葉少ない“睡蓮が見頃です”との花便りに従って、奥庭の池泉庭園に足を運ぶ。

その後は、濡れ縁の廊下で小一時間を過ごす。

その廊下の前には、静寂を深める直線的な枯山水方丈前園。その背後の立ち木は、芽吹き瑞々しい若葉を茂らせている。季節を控えめながら感じさせる、程よい広さの庭がある。

その庭からの心地よい風が、微かに新緑の香を運んでくる。その風は私を通り抜け、奥の障子、畳、襖にもその香を移す。

静かな満たされた時間。雑音に満ちた私の日常から切り離され、静寂という幸せの香りが我が身を包みこむ。

そう簡単には惚れはしない私だが、そこに憑かれ、通い詰めている。

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