アメリカでの生活を、旅人ではなく住人として楽しんでいる。
デンバーに住む長男が、子供の誕生を機にダウンタウンからアメリカ郊外の典型的な住宅街、リトルトンに居を移した。
アメリカの郊外での生活。
私にとって何もかもがもの珍しく、ことある毎に、その有り様を観察するため住居周辺隈なく車を走らせている。
このリトルトンの住宅街、小綺麗な商店街を抱えるリトルトン駅前から、西に直線的に伸びる8車線の幹線道路沿いに、開拓されたもの。
その住宅街は、決まった様に芝を敷いた小さな前庭を持つ平家か二階建ての住宅が集合している。
この住宅街は、大きく、四つのタイプに分けられる。
先ず、駅から車で2、3分、その幹線道路沿いに、出入りがしつかりと管理された少し閉鎖的なGated Communityと呼ばれる、ゲート付きの住宅街が数カ所ある。
この住宅街は、恐らく、リトルトンが開拓されると同時に建てられた住宅街だろう。東京で言えば、渋沢栄一の手で開発された当時の田園調布、その駅を中心に造営された屋敷街であろうか。
もう一つは、その幹線沿いにあるゴルフ場を中心にした住宅街。これが駅から車で4、5分と近くの距離に、二つの住宅街ある。ゴルフ好きの私には、堪らなく惹かれるのだが、息子は、どうやら、はなから対象外だったようだ。
もう一つが、やはりその幹線沿いの右サイドに敷設された巨大なシヨッピング・モールが中心に、放射線状にある住宅街である。
その中心には巨大な駐車場があり、食料品スーパー、スポーツ用品、生活、医薬用品、衣料品雑貨などと、それに、銀行、ファーストフード店、小綺麗なレストランが整然と並んでいる。
そうして、もう一つが息子の選んだ住宅街である。
駅から真っ直ぐに伸びる幹線道路からは、もう一本入った、やはり8車線の幹線に囲まれた住宅街。
その中心には、巨大な公園、幾つもの野球場、テニスコート、プールや学校があり、その広場を中心に八方に広がる、アメリカの中流市民の典型的な住宅街である。
従って、家からは徒歩で小、中校に通へ、高校はスクールバス、それに日常のショッピングにも、ほぼ車で5分の距離で行ける。
この住宅街が、息子に選らばれたことに納得さられる。
それに、私の日常、スタバは5分圏内に3軒もあり、私が通う事になったBarns&Noblesに併用されたスタバも5分とかからい。
素晴らしいことに5分圏内に二つのゴルフ場があり、10分もかければあと3カ所もある。
まさに、5分圏内に全てが揃っている、
その利便性と快適さは、東京に住む我らには考えられないほどの見事さである。
さて、その住宅街、息子の話によれば、初期の住民の半分が代替わりして、息子と似通った同じ世代の住民が半分だと言う。
まだ、移り住み半年も過ぎていないのにも関わらず、近所の子供、犬たちとの付き合いも始まり、すっかり溶け込んでいるようである。
来年、訪ねた折には、ご近所さんとの深い交流も始まっているに違いない。
私の滞在中に、こんな事件が起こった。
一人の老女暮らしの家の前の木が、枯れたまま手入れされずに放置されていたところ、ある住民から苦情が役所に寄せられ、ある日、市役所の手で、その老女の負担で、問題の木が切り倒さた。
ここの住人達、玄関先で芝刈機を事ある毎に動かし、スプリンクラーや木々の枯葉に気を配り、花壇の手入れを怠らない。
どうやら、街の清潔さ、美観を乱す事態があれば、住民から苦情が、すぐさま持ち込まれるということらしい。
そうした、似通った生活事情、保守的生真面目が、なんとも私には堅苦しさを感じさす。
さらに、良きアメリカの似通った中流意識、保守的、知性、身のこなし、雰囲気など、似通った意識集団を形づくっている。
それには私が、日本人であることを強く意識させる。
こうした住宅街は、昼間は時々、前庭の芝を刈る姿を見るが、人影は極度に少なく、清潔で生活臭は感じられない。
だが、夕方、夕涼みに前庭に椅子を出し座っていると、住人から手を挙げ挨拶が飛んで来る。
時には、散歩に出たお年寄りが、のこのこと気楽に私の元まで立ち寄って話しかけてくる。
そうした折りは、知的な会話も上品な笑いも求められず、ハッハ、と相手の冗談に笑っていれば良い。
そろそろ、“孫の手”と“犬の足”を借りて、私の最前線前庭の椅子から、一歩ご近所さんに近づくタイミングを図っている。
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