Sometimes too much to drink(eat)is barely enough.
Mark Twain
“飲み(食べ)過ぎて、やつと飲んだ(食べた)気になる”。そんな時があるものだ。

こんなことを語った彼が、ヨーロッパの旅行記を著したその最後の全2ページに渡り、彼の渇望するアメリカの料理を書き連ね、自らの故郷の料理を懐かしんだ、と言う。
彼が懐かしがったアメリカ料理。
彼が“食べた”とやっと言えるほどの料理とは、どんな料理だったのだろうか。
そんな思いに懸かれた今回のアメリカ郊外での一か月であった。
この夏、久しぶりにワイキキに来た。
我ら夫婦と在米の息子たちとの中間地点ハワイで、長男家族4人と、この12月女の子の出産を控えている次男夫婦2人、総勢8人半がワイキキで久々の集合である。
その折、子供たちがハワイのサマースクールに毎夏通っていた当時、幾度となく訪れたカハラ・モールのカルフォルニア・ピザ・キッチンに寄った。


このピザに限らず、子ども達との旅となると、たとえフランスにいようがところ構わず、ロードサイドの赤、黄色と原色の看板に誘われ、マック、ケンタッキー、ジャックインザボックス、ピザハットとファーストフード店に立ち寄る羽目になる。
今回、東京に戻る前に、そのワイキキから立ち寄った長男が住むデンバーでの日常で思い知ったのが、アメリカの郊外ではファーストフードを食べるのが、一番であることだ。
アメリカの料理は、”シンプルで不味い、祖国イギリス料理の遺伝子を忠実に継いでいる”、と多くの旅人が嘆く。
アメリカ料理は、食材の原型のまま、焼く、揚げる、煮る。
発酵させ、醸造し、気長に熟成させ旨味を引き出すといつた、
一ひまをかけない。
まるで、キャンプでの野外料理如きもの。
当然、手で食べるマナーが許され、ビール瓶を片手で食事が進む。
さらに、用心しないとならないのは、その量、ポーションに遠慮が無いこと。
これが、イエローストン国立公園内の名だたるホテルでのディナー時のトリフ・フライドポテトの一皿である。

だが、幸いなことに、アメリカはファーストフードチェーン誕生の地。
このファーストフードだけが最低限度の味を保証し、旅人に、わずかながらも安心感を与えてくれる。

さらに、有り難いことに給仕との触れ合いがなく、気遣いとチップがいらないと言うおまけ付きである。
然して、どうしても外食をせざるえない時は、ファーストフード店に寄る。
それが叶わない時は、小綺麗な店を見つけ加工度の少ない料理を選ぶ。
私の一番のお勧めは、1/2のクラブサンドイッチとコールスローサラダである。レシピーは世界共通、単純明快で間違えようがない。

そんなはずが無いと幻想を抱き、美味しい料理を求めて徘徊するが、一度すら叶えられたことが無い。
そんなアメリカ郊外での非常食である。
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