一皿36。玉久が消えた。

閉店である。

先日、渋谷の三魚洞に寄った。
その折、“玉久が閉店した”と女将から聞かされ、慌てて訪れて見たところ、確かに閉店の張り紙が出されていた。

また、お馴染みの店が消えたようだ。
この玉久、若い私には敷居の高い店であったが、懐具合を気にしながらも通っていた。

程よく混んでいた、この店。
開店前に押しかけ、いかにも魚好きの中年の連れや、監督に連れられた劇団の若者の一団と一緒になり、皆で入り口に置かれた縁台で腰掛けて店が開くのを待つ。

こうして案内される先が、ビール箱の上に板を載せただけのテーブル、その上には裸電球がぶら下がっている。

メニューは、壁に貼られた値段の書かれていない短冊型のもので、生きのいい上質な刺身、焼き魚や煮魚。
売り切れた短冊は容赦なく剥がされる。

話が弾んでいると、絶妙なタイミングで土瓶蒸しを薦められる。どうやら、長居をしたようである。
席を次の客に譲るタイミングの合図、そんな約束があった。

それに忠勇しかない上に酒は一合までと長居を許してくれない。

その役割を担っていた、キビキビ働くヤンチャな給仕、郷さんの顔が懐かしく目に浮かぶ。

この玉久、渋谷交差点の一等地にあった店。若者の街、渋谷のシンボルビル109ビルが建てられた折も、その隣で木造一軒屋の昔の姿で営業を続けていた。

久しぶりに訪れると立派な自社ビルになっており、その最上階の8階と9階の2フロアを使って営業していた。

既に、あの郷さんは見当たらず、オーナー兄弟の一人も姿を消し、無口な笑顔を絶やさないお兄さんだけが健在であった。

昔のことだが、余りにも立派な焼き“かま”料理に驚き、話しかけると、“高級料亭へ卸している仲買人から、特別に分けて貰っている”と、珍しく話が弾んだ事があった。

その弾みで一緒に築地の河岸に、早朝行こうと話が進んだ。
残念ながら、彼の勧めた日時のタイミングが合わずに、今にしては、もったいないことをしたと、今、懐かしく思い出す。

若者の街、渋谷にあって、数少ない我らも通える魚料理屋が、また一軒消えた。

この記事へのコメント

2025/03/04 14:22

玉久 懐かしい 今知りました 魚を食べたくなったらここでした
地下鉄の階段を上がってくるとこちの匂いが漂ってました
こちぽん こちかま 車エビ 土瓶 何かお通しがあったなぁ
うまかった 親父を連れってたこともあったな
令和2年12月19日閉店 何が有ったのかな

    2025/03/10 09:38

    こうした良い馴染みの店が消える。
    この歳になると、今更、新しい店に行くのは、旅先の知らぬ地だけになります。
    残念な店です。

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