仕事から身を引き、何をしてもよい時間をたっぷりと手に入れた。

だが、果たして、幸福なのか退屈なのかが判然としない。
何をしてもよい時間というものは、それはそれで、厄介。
騒がしい世間の窓口、新聞やTVからも離れ、朝食を断ち16時間ファスティングをしている私には、朝、決まってする事が、いたって少ない。
やることと言えば、すっかり少なくなっているゴルフや夜のお誘いのラインでのやりとり、それと、次回の旅情報をGoogleで検索するぐらい。
となると、ソファーでのひと時で事が足りる。
頼りは、近所の知人、友人とのお喋りとなるが、この20数年で10数回の引っ越しを繰り返し、今は高層集合住宅に住む身となると、おいそれと親しいご近所さんもできていない。
せいぜい、受付嬢が話し相手となるが、それも数分が限度。
こうした今、唯一の救いとなっているのが、PCと数冊の本を携えてのスタバ通いである。
朝早々に、一先ず、散歩を兼ねスタバに行く。
このスタバに通うという朝のルーチンが、混乱を極めた本棚の前で終日過ごしそうになる私の1日に、それなりのリズムを与えてくれる。
スタバに向かう道すがらのひと時が、漫然と過ぎ去って行く今日という一日を、しっかり意識させる時間となる。
そうこうしている内にたどり着くスタバでの数時間、これがまた、思いの外充実したものになっている。

先ず、すっかり顔見知りとなったスタバ・スタッフと笑顔で、短いながら言葉を交わし、パズルと思えるほどの多くの選択肢から、今日のコーヒーを選ぶ。
熱いコーヒーを手にいつもの席に着き、先ず、コーヒーに全神経を集める事から始める。

手に伝わってくるカップの暖かさ、蒸気に混じってかすかに立ち上る香り、そして、口いっぱいに広がる程良い熱さ、その熱さに交じる苦味を舌に受け、すっと喉に落とすその瞬間に、今日選んだコーヒー豆に意識が向く。
こしたプロセスを幾度か繰り返して行くうちに、ざわついていた心も落ち着き、朝の一時を、じっくり本を読む時間としてくれる。
すべてが選べる中からスタバへの散歩を選び、幸せな一日を、私は始めている。

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