一幸97。懐かしい珈琲店。その一。

この友との待ち合わせは、いつも新宿となる。

この街もご多分にもれず激しく変化している。そうした中で、昔の面影を残す紀伊国屋書店が、彼との待ち合わせ場所。

久しぶりの新宿である。
約束まで少しの間、その近辺を歩いた。

先ず、花園神社に向かう。
明日から酉の市らしく、境内は屋台が建て込んでいる。

嘗て、この境内では、かの唐十郎が、芝居の原点は浅草の芝居小屋や見世物小屋にあるとして、紅テントをはり、過激な舞台を展開していたアングラ活動の聖地であった。

その神社裏は、懐かしい新宿ゴールデン街。
今も変わりないバラック長屋に、バーやスナックがひしめきあっている。
紅テントの観劇を見終えたその足で友と訪れ、夜を徹して飲んでいた店も健在であった。

市役所通りを含めたこの一帯、東京のサブカルチャー、アングラ芸術の発信地であった。

まだ、どの店も灯をともしてはいない夕暮れ、思い出に浸りながらのブラ歩きを楽しむ。

こうなると、どうしても確かめたい店、今は閉店した風月堂がある。

若い頃、常連たちに紛れ込んで、そっと、長椅子の片隅に座っていた名曲喫茶、その風月堂。

この店、その時代の若者文化を背負う、ビートたけし、三國連太郎、岸田今日子、野坂昭如、岡本太郎、唐十郎、寺山修司などなど、若き才能を持つものたちが出入りしていた、もう一つの戦後の新宿文化を象徴する店。

だが、やがて、ヒッピーや外人の若者、べ平連の活動家、それにつれられ、フーテンも来るようになり、常連の客を遠のかせ、閉店と追い込まれた店である。

スマホの力を借り変棒激しい角筈周辺を歩き、その風月堂が、何の変哲もない雑居ビルの壁面にプレートとなって残っているのを見つけた。

1989年1月7日のこの日。
昭和の終焉ともに、あの懐かしい時代の新宿は、終わっていた。

コメントはこちらから

コメントの表示が遅くなる場合がございます。