一言31。運転免許証。

恐ろしい目にあった。

皆さんも、違反や更新で、一度ならず、運転免許試験場での運転講習を受けた経験がおありであろう。

その試験場で、信じられない事態に遭遇した。

運転技術講習の折、指導官が助手席に陣取り、講習対象者が運転席、残りの二人は、後部座席で待機する。

問題は、運転席に座った者が、怪しい。
先ず、足が怪しい。喋りかたが怪しい。さらに、耳も怪しい。

怪しい尽くしの彼が、ハンドルを握った。

加速ペダルの踏み込みが、不十分で発車できない。
再度、トライ。
今度は踏み込みが強く、急発進となる。
慌てた指導官が急ブレーキを踏み、大事には至らなかった。

彼の運転が、いよいよ怪しくなる。

そこで、“危険回避措置”をとった。
指導官に”ベンチで待つ”旨をつげ、下車して危険から遠ざかった。

彼の免許が、更新されたかは定かで無い。
更新が拒否されるか、返納されたと思いたい。

そんな思いをした翌日、新聞広告を見て呆れた。

75歳を境に、運転者の心身の衰えが、運転技術に影響を与えるダメージを測定するため、2年に一度、認知・記憶検査が実地される。

その対策の書籍広告“本番そっくり模擬テスト”を新聞に見つけたのだ。
これは、断然おかしい。

運転者の今の運転脳、身体力を測定して、運転することを継続させるか、あるいは、免許証の返納を勧めるための検査であり、決して試験では無い。

本人だけでなく他者の命に関わるはずのものが、一時的見せかけの能力をつける、その対策を堂々とさせるというのである。

池袋で、超高齢者が引き起こした悲惨な事故の例にみても、本来なら、彼への免許証発行の適正性の判断が、厳密になされていたかを問うべき問題でもある。

先日、豊洲に行く折、久しぶりに”ゆりかもめ”を利用したが、よく見ると運転者の姿が消え、自動運転となっていた。

そう言えば、自動運転車の登場がもう少しところに来ているらしい。
そうすれば、こんな心配もしないで済むようになる。

だが、私は、家族からの免許返納の合唱から逃げ出すべく、日夜努力を続けている。

毎日のようにジムに通い、足腰の筋力を増量させ運動能力強化の図り、さらに念を入れ、毎朝スタバに通い、あの濃いコーヒーと読書で、思考脳を刺激し鍛えている。

きわめつけの対策として、友人との夜の一杯の機会を増やし、脳への刺激を与える過酷な夜を過ごしている。

明日、女房殿の起き出す前に、京都へと車を走らせる準備を密かにしている。

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